風に吹かれて

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風に吹かれて (2020年3月号 : 私のメモ帳・たな卸し その2)

● 西行法師とお伊勢さん
伊勢神宮の境内に佇んで、““何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる”と西行は詠む。お伊勢さんは、ただただ神々しく、ありがたい。

 

● 平家物語と白根三山(農鳥岳、間ノ岳、北岳)
「平家物語」(巻の十・海道下り)には、戦さに敗れて捕らわれた平重衝が静岡の興津辺りから遠くの山々を眺める情景を、つぎのように記している。
毛越を過ぎて行きければ、北に遠ざかりて雪白き山あり。問へば甲斐の白根といふ

 

● 新潟(越後)平野の今昔
上流からの土砂が堆積して水抜けが悪く湖化した「ガタ」、明治の初期には120あった。土地改良、365日ポンプ排水で豊穣の地となったいま、胸まで水に浸る田植え、足踏み水車で排水、舟から稲刈りの光景は、まったく想像もつかない。

 

● 「朝晴れエッセー」
産経の一面に掲載される「朝晴れエッセ-」は、いつも印象深く読んでいるが、最近とくに感じ入ったのは、つぎの「父と柿の木」(2019年1月)である。
大病で幾度もの手術を経てきた父親が、生命の限りを知って、その息子に、遺言のようにいう。「なあ、あの柿の木だけは切らないでくれよな」と。

その理由はこうだった。“戦後のごく貧しいとき、自分は、近くに実っている柿を見て、「あれ欲しい」と母親にねだった。切なくなった母親は、なけなしの着物を持参して柿の木を所有する農家に交換を頼む。柿を手にした母親が立ち去ろうとしたそのとき、着物を点検した農家は、「なんだ、たったこれだけか」、そういって、ひとたびは手渡した柿の実のいくつかを取り返し、減らしたのだ。
右の拳をぐっと握り、涙をこらえていた母親の姿がいまも忘れられない。 自分が柿をせがんだため母親にこんな思いをさせてしまった。だから、ほかの木は切っても柿の木だけは切らないで欲しいというのである”(個人的な要約)

 

● 今西錦司 「生物社会の論理」(1994年)
“社会とは、つねにその内部に、それを構成するものとのあいだに、コンペテイションとコオパレ-ションという一見矛盾した作用をはたらかせつつ、それを介してなりたっている一つの構造であり、動的均衡体系である”

 

● 佐藤優 「官僚階級論」から その① 「公」とは
この本からの引用で、「公」について、まことに明確な定義があり、同感だ。

“多くの日本人は、「公の世界」というと、家庭や私的なことではなく、「国の領域」のことと思っている。「公共のため」が「国家のため」に限りなく近い意味で使われているが、まったくの誤解である。国家みずからの強制力をごまかすために使い出して変容した。「公共」とは、本来、国家に対する概念で、私的な要素が含まれている。<自分だけの世界ではないが、他人や社会と相互にかかわり合いを持つ時空間、なにかを共有する世界>とでもいうべきものである”(要約)

 

● その② カエサルのものはカエサルへ
1987年当時の私的な備忘録には、「カエサルのものはカエサルへ」について、ごく簡単に、「政教分離の考え」と、続けて、“信者が皇帝への税金を拒否して、神に納めようとしたが、イエスは、「貨幣にはカエサルの刻印がある。これはカエサルに納めよ」 といったとの説も”と書き残したが、しっくりこなかった。

いま、佐藤優の「官僚階級論」を読み返してみて、13年の後に目の鱗が落ちる思いがしている。この本の「デイナリオン銀貨」の項には、こうあるからだ。
“イエスを快く思わない律法学者や祭祀長は、イエスを、ロ-マ国家に従うな、税金を払うなと扇動する国事犯と見ていた。その証拠に、税を払うかどうかとイエスに質問する。彼らの企みを見抜いたイエスは、デイナリオン銀貨を持ってこさせ、「そこには誰の肖像と銘があるか」と聞く。銀貨には玉座に座す皇帝の肖像が描かれ、「皇帝テイベリウス、聖なる尊厳なる者の子」と銘が刻まれていた。
イエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」といって、税金は皇帝(国家)のシステムに由来するものだから、国家に払えばよい。しかし、地上の王にすぎない人間を、あたかも神のように神格化することに、イエスは異議の申し立てをしている”

 

● おまけに 信楽焼の狸=八相縁起の象徴
信楽焼の狸は、編笠をかぶり、右手には徳利、左手に通い帳を持って立つ。 観光協会は、これを「八相縁起を表したもの」と説明するという。すなわち、
・災難を避ける、
大きな目・周囲を見て気配り、
笑顔・忘れずに、
徳利・「人徳」の表われ、
大きな腹・冷静、大胆に、
通い帳・信用第一、
例の金袋・=金運、
太いしっぽ・終わりはしっかり大きく、
なのである。

 

(2020.3.3記)

 

 

風に吹かれて (2020年2月号:雑記帳のメモから)

コロナ・ウイルスの各地への伝播・拡散は、情報統制・非公開が日常茶飯事の中国の国家体制から見て、相当なものになるとは予想はしていましたが、それをはるかに上回る状況です。加えて、中国に飲み込まれてしまったWHOの対応がまことに緩いものだから、世界全体としての調和ある対策が取りにくく、各国は、自国独自の対策を取らざるを得ません。習近平の国賓での来日を控えた日本の姿勢も問われています。余談になりますが、2月4日の産経新聞には、ベタ記事でしたが、「秋田犬」の里である秋田県大館で、「1月31日以降は、ヒトが秋田犬に触れることを禁じる」措置がとられたそうです。
さて、2月号は、雑記帳のメモとコメントを掲載しました。(2020.2.5記)

 

● 台湾人の誇り
香港問題に危機感を持った台湾総統の選挙も終わった。コロナ・ウイルス肺炎騒動のなかで、政治・外交の戦いは、一見、しばしの休戦にも見えるが、WHOがコロナ・ウイルスの検討に台湾を加えない、マスクを送らないと「武漢に滞在の台湾人は帰さない」としたなど、底流では続いている。

さて、台湾の若者が自らと台湾の位置をどう考えているか、ふと昔の経験を思い出した。10年ほど前のドイツ旅行でのエピソ-ドである。ミュンヘンから南バイエルンへの車中で、われわれ夫婦が若い男女と同じコンパ-トメントになった。中国語の会話を聞いていて、こちらから、”Are you Chinese ? ”と尋ねたところ、その答は、”No , We are Taiwanese.“ ナルホド、李登輝総統の「まともな教育」が、台湾の若者に誇りを回復させたことが見て取れる。

 

● 浜矩子教授の山本太郎評
「文芸春秋」の2月号に、山本太郎が「“消費税ゼロ”で日本は甦る」という政策論文を寄稿している。その中に、<ある地方に行った時、駅前で流行っているラ-メン屋の店主がこんなことを言ったのです。「周りからは儲かっていると言われるけど、トンデモない。もう2年ほど消費税を滞納している」・・・
行列ができるラ-メン屋ですら、消費税が払えない。これが今の日本の実態です>、このようなくだりがある。
納得してはいけない、説得されてはいけない。
ラ-メン代に「上乗せされ、支払われた消費税相当額」は、いわば、店の所得ではなく、「客からの預かり金」なのである。これを税務署に納めないということは、<着服>、<横領>ともいうべき行為で、とても同情すべきことではないだろう。

同志社大学の浜矩子教授は、週刊誌の取材に応じて、こういったという。
「“緊縮財政の必要性など一切考慮せずに大盤振る舞いの財政支出を展開する。そのことによって国家主導の経済体制を構築する“という国威発揚型国家観に根差している」「ムソリ-ニやヒトラ-が軍事目的と失業対策を兼ね高速道路を整備した歴史(全体主義)を彷彿とさせる。」まことにごもっともである。

「一人でも反対者がいたら橋は架けない」(ポピュリズム)と「懐具合を考えない財政出動」で東京都に財政破綻をもたらした美濃部亮吉知事の“二の舞にならなければいいが“と思う。そういえば、美濃部教授は、「退官講義」の締めくくりで、「ファッシズムの足音が聞こえる」とおっしゃっていた。

 

● デラシネのゴ-ン
これは、産経新聞からの引用(孫引き)である。「モンテ-ニュの言葉をゴ-ン被告にささげておこう。<落ち着かぬ ・ がつがつした ・ いそがしそうな ・ 金持ちは、ただの貧乏人よりも惨めなように思われる>」

 

● 待合室
旅の楽しみの一つに「待合室の掲示板」の見学がある。昨年秋に白新線の豊栄(とよさか)で目にした掲示板は、町の俳句同好会からの投稿と思われる。“酒二合 秋一日を しめ括る  藤雄” “雪囲う 手間賃わずか 酒二合  好”いずれも、ホノボノとしてよい句であった。
お酒の句が出たついでにもう一つ。これは、妖怪博士といわれた東洋大学の創始者「井上円了」の狂歌である。
朝はいや、昼は少々、晩たっぷり、とはいふものの上戸ではなし”さて、この<少々>、<たっぷり>とはいかほどか、昼は一合、晩は二合だろうか?

 

● 長野県人と交通安全意識
JAFの調査(2019年)によると、「信号がない横断歩道では停車して、歩行者を優先させる」という交通ル-ルを最も守っているのは長野県人だということである。(全国平均17%、長野県69%)

さすがは教育県」と持ち上げられているが、さあ、どうだろう?経験からいっても、<信号があるにもかかわらず守らない、交差点でちょっともたつくと必ず右折車が優先スタ-トする、制限速度10km超ぐらいだと追い越される>など、危険運転の常習犯は、松本ナンバ-だ。「松本の人は、自分を、信州人とは思っていても、長野県人とは思っていない」のかもしれない。 (了)

 

 

風に吹かれて (2020年2月緊急号:ゴーンの逃走)

カルロス・ゴ-ンの国外逃亡から2週間、1月8日の記者会見(レバノン)で新事実が明らかになるかと期待されていたが、抽象的で情緒的な「私の主張」、あるいは独演会で拍子抜けだった。会見を受けた欧米のメデイアも冷ややかな報道にとどまっている。また、日本メデイアで入場が許された(質問の機会が与えられた)のが、朝日新聞、テレビ東京、小学館(週刊ポスト?)と伝えられるので、その辺りからも、会見の意図は、なんとなくわかろうというものだ。
また、外国メデイアによると、この逃亡劇には10~20憶円の費用がかかったという。やはり、裁判所の保証金算定は甘かったというべきだろう。
そこで、これまでの報道をもとに、状況の整理と若干のコメントを行いたい。思わせぶりな事前リ-クもあり、今後の展開には要注意である。(2020.1.13記)

 

● Gone to the better land (フォスター Old Black Joe から)
まったくもって、「スパイ映画」もどきのことが現実に起こるとは、却って感心してしまう。昨年末、人の往来が激しいなか、人混みに紛れて、移動制限つき保釈中のカルロス・ゴ-ンは、レバノンへ逃走した。
これまでのマスコミ報道を整理すると、つぎのような状況がわかってくる。
作戦は、数か月かけて用意周到に計画され、その実行は、グリ-ンベレ-(アメリカ軍の特殊部隊=降下部隊)の経験者=プロが行った。
② 逃走経路は、自宅(徒歩、タクシ-)→品川(新幹線)→新大阪(タクシ-)→ホテル(タクシ-)→関西空港(プライベ-ト・ジェット)→トルコのイスタンブ-ル(PJ)→レバノンのベイル-ト
③ 輸送手段の特徴は、大型音響機器を収納するケ-ス(ブラックボックス)に隠れボンバルデイア社PJの貨物室へ搬入、その後は客席へ入ってくつろぐ。(ブラックボックスの底には、空気の取入れ口とキャスタ-がついていた)
④ 作戦は、事前の下見、シミュレ-ション、予行演習が行われた気配がある。(PJの貨物は関空ではチェックがない。ボンバルデイア機は貨物室と客室の通行が可能
⑤ 自宅からの脱出時には、人の目を避けるため、あらかじめ、日本の弁護人が<日産自動車派遣の警備会社>に対し<刑事告訴>を警告、脅して警備員を引き上げさせた。結果として、脱出環境を整備に協力していた。
かくて、関係者に多額の金をばらまかれたと思わしきレバノン政府からは、この「箱入り息子」は温かく迎えられ旅を終える。年の暮れ、まさに、<鐘=金とともに、彼はゴ-ンと、かの世・Better landへ>向かった。

 

● 平和ボケの日本 メンツは丸つぶれ
日本政府は、「保釈中の逃走罪」なるものを<これから>「法制審議会」に諮って制定する方向とも報じられる。だが、まず急がれるのは、<日本=島国=国外逃走の恐れは少ない>とする「一国平和主義からの脱却」で、つまり、他の犯罪先進国?と同様に、GPS装着の義務化による状況捕捉 などだ。

まあ、一番バカを見たのが日本の弁護団、とりわけ、<無罪請負人>として名をはせた「弘中弁護士」で、とんだピエロの役回りを演じさせられた。このことは、「わたし知らない」「辞任します」で済む問題ではなかろう。
それでもなお、もう一人の高野弁護士は、「違法かもしれないが、直ちにこれを悪いことと全否定はできない」などと「ポン助ぶり」も見せている。多分だが、これらの弁護人が保証する保釈要求に対して、裁判所も慎重になるだろう。

3時間近い新幹線のグリ-ン車、車掌は、なぜ本社や警察に通報しなかったか、「そんな、ありえない」と、こちらも、日本らしく、<平和ボケ>に陥っている。

 

● 海外広報を急げ
明らかに日本の国益は侵害されており、ゴ-ンの会見とレバノン政府の釈明には、断固かつ国際的に大いなる反論を継続的に行うべきである。ゴ-ンが英仏、アラビア、ポルトガルの4か国語なら、日本は、10か国語で、しかも、フォ-リン・プレス・センタ-の場で広報しないと国際世論は流される。
合法的に入国した>とのレバノン政府表明は、<違法に出国した事実>を裏返し的に表している。ゴ-ンのパスポ-トに<適法出国のスタンプ>はない。一説では、レバノンにはかなりのODAも投じられているとか、この取扱いも気になるところだ。

 

● The Ballad of The Green Berets (1966年)
プロテスト・ソングが大流行していた時期、珍しくベトナム戦争を支持してヒット・チャ-ト上位を占めていたアメリカ軍讃美の歌に「グリ-ン・ベレ-」がある。この時期、人々は、悲惨で大義のないベトナム戦争に抗議すると同時に、失われたアメリカの誇りをどこかに求めていたのかもしれない。

 

歌詞の一部を掲げたが、記憶のよるもので多少の間違いはご容赦願いたい。

“ Silver wings upon their chests , These are men America’s best .
Fighting soldiers from the sky , The fearless men of the Green Berets .”

 

 

風に吹かれて (2020年1月号:初春の雑感)

2019年の購読ありがとうございました。新年もよろしくお願い申し上げます。 1月号は、昨年の「メモ帳」から「雑感」をまとめました。(2019.12.24記)

 

● 少子高齢化を実感!
11月の午後、上越新幹線での光景である。新潟駅のホ-ムでは、2歳前と覚わしき男児とその母親が、祖父母に見送られ、東京行きの列車に乗り込む。男児は祖母にハグされ、いかにもかわいらしい。そして、2時間余の乗車の後、東京駅の到着ホ-ムで、こちらの祖父母の出迎えを受け、ここでも、ふたたび、祖母にハグされるという心温まる光景に出会った。
思うに、新潟は母親の両親、東京は父親の両親なのだろう。孫1人に4人の祖父母、少子高齢化を実感させられる列車の旅であった。

 

● ああ、聞き違い、勘違い ‐ 大学入試と大相撲九州場所
勤務する新潟の大学では、10月以来、毎月、多い時は月に2回、入学試験が行われている。成績優秀者には「特待生制度」が適用されるのだが、この春は、これ加えて、「スポ-ツ特待生制度」が設けられる。既設である自転車部のほか、新たに「ラグビ-部」、「柔道部」についても特待生を選びつつあり、このところ、筆者の頭の中には、頻繁に「特待生」の語が浮かぶ。
 大相撲九州場所の中日の中継で、「特待生に勢い」(トクタイセイ ニ イキオイ)と聞こえてきて、一瞬、「なんじゃ、こりゃ」となってしまった。よく考えれば、<旭大星に勢>の取組みだったのである。蛇足になるが、「宝富士」の場合も、「宝くじ(タカラクジ)」と聞こえることがある。仕事のせいか、加齢のせいか。

 

● 香港の抗議行動は、まるで 「戦国時代の戦い」
香港の抗議行動は、収拾の方向が見えない。「区議選での民主派勝利」で、かえって中国の圧力は強まるだろう。少し前の「人民軍が自主的・清掃活動に出てきた」とのニュ-スも、「朝鮮戦争における志願した中国人民義勇兵」の古傷を彷彿とさせて、まことに不気味である。
学生などデモ参加者の対抗手段を見ていると、忍者が使った「星形の鉄菱」(太い針金製)を道路上に播いている。古典的な武器だが、交通の妨害には効果がありそうだ。事態が進むと、「いずれは手裏剣、火煙玉なども使われるのでは?」と思ったりして、あまり冷やかしてはいけないが、中国の軍事介入の恐れは大いにある。ことは、香港にとどまらず、影響は台湾にも及びかねない。 もう一方の大国アメリカは、どう出るつもりなのだろうか、心配である。

 

● 志位委員長の日本語に違和感が・・・
「桜を見る会」は、1881年に、不平等条約を改正するために皇室が主催した「観櫻会」(歓櫻御宴)の流れを汲んでいる。目的は内外に日本の国威・品格を発揚することで、吉田内閣の「桜を見る会」も、戦後日本の国際社会への復帰行動の一環だったから、現状の運用は、本旨を外れ、いささか度が過ぎている。

さて、話は変わり、本件に関する野党幹部の発言(日本語)に触れる。「日本共産党」の委員長は、「首相による血税私物化は絶対に見逃せない」(11/10)と ツイ-トしたが、「血税」は、①徴兵による兵役、②あまりに過酷な重税のはずで、こんな言葉を気軽に使うようでは、なんだか、共産党も「平和ボケ」の気がする。

 

● 韓国の原発処理水は「汚染水」?
原子力発電に伴う「処理水」のうち、トリチウムは除去できない。仮に海洋放出する場合は、基準濃度以下のレベルに希釈する。これは、国際常識であり、韓国の主要な原発である「月城原発」は、1999年以来、累積の数字で、6000兆ベクレルを超える放出を行った。日本の「福島原発」は、放出はしていないし、トリチウム貯留量は1000兆ベクレルと<韓国の1/6>である。  行為の実態と客観的数字は、冷静に見て判断しなければならない。

 

● 車内販売の変更は労働強化?
JR中央線車内での弁当、ホットコ-ヒ-、アイスクリ-ムの販売が取止めになった。問題はその後の対応で、運ぶ量が減ったためか、カ-トも廃止され、販売員は荷物を担ぐ。いかにも重く腰に悪そうだ。とんだ労働強化ではないか。

 

● AIでよみがえる美空ひばり
NHKテレビC-②で放映・再放送された番組は、とても興味深いものだった。 “昭和の歌姫”「美空ひばり」をAIでよみがえらせ、新曲を歌わせるという 企画で、作詞、作曲、映像、演奏、音声、語り、衣装などあらゆる関係者が 共同作業し、かつ、AIは学習を繰り返して、ついに30年ぶりの新曲を歌った。会場のオ-ルド・ファンは、ひたすら涙である。なかなか納得ができなかった「語り」の部分も、幼かった息子・和也のために吹き込んだ童話テ-プがカギとなって、「ひばり独特の味・節」を除けば、「ひばり」は再現するかに見えた。

新曲は、秋元康の作詞で、「あれから」。<お久しぶりです>の語りで出た後、 “あれからどうしていましたか ずいぶん時が経ちましたね あの時の歌をいまでも歌ってしまいます 振り返ればいい時代でしたね”で、曲自体は、なかなかよい。

 

 

風に吹かれて (2019年12月号:安曇族の由来、安曇野の境)

安曇野・穂高も冬になりました。11月18日には、外部の水道不凍栓を閉めて、室内の蛇口は全面開放し、冬への備えをして「店仕舞い」にしました。
西山では、常念岳の北斜面がわずかに白く、大天井から燕岳への尾根にも雪が見えます。「あずさ」から遠望する南アルプスは、鳳凰三山と甲斐駒の裏にある日本第2位の山「北岳」(3192m)の山頂部が白く光り輝いて感動的です。

 

さて、“なにを思案の有明山に 小首かしげて出たワラビ”これは「安曇節」の一節ですが、信濃富士ともいわれる「有明山」は、古くからの伝説も残っており、常念岳とはまた違った意味で、<安曇野の象徴>です。
※ 画像① 黒いのが有明山、雪をかぶっているのは「燕岳」

 

信濃安曇族の祖「安曇連比羅夫」比羅夫像がある穂高神社は、祖神を「穂高見命」(綿津見命の息子)としている。安曇連比羅夫は、いわば海の将軍であって、天智天皇の元年(662年)に、船団170隻を率いて、百済王を朝鮮半島に護送、唐・新羅の連合軍と戦うも、武運つたなく白村江に敗れ戦死したとされている。
※ 画像② 穂高神社に祀られている「安曇連比羅夫」の像

 

この敗戦以来、唐・新羅の侵攻に備え、大和朝廷は、都を内陸の近江大津に 移した。(667年)その後、壬申の乱(672年)を経て、近江京は飛鳥浄御原に 遷都される。歌人の柿本人麻呂は、この近江の都を懐かしんで、こう歌った。
“近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに古おもほゆ”

 

穂高神社 その社格は、昔風にいえば「国幣小社」と高いもので、山岳地域に立地していることで、「日本アルプス総鎮守」とも称され、国道の神社入口にはそう記した看板もある。海族の神社らしく、裏門付近には、神船の「穂高丸」が祀られ、9月27日(比羅夫戦死の日)には例大祭「御船祭」が執り行われる。
海族らしく、5~6台の山車の上には大きな船形が飾られ、最後はぶつけ合いだ。
※ 画像③ 御船入りの風景(矢原神明宮にて)

 

安曇族の発祥の地 九州筑紫の志賀島あたりとされているが、<海民>、海人、海族は、船を使って、広くダイナミックに活動し、全国各地で水運の地に拠点を設けてきたと思われ、水運に便利な地には、いまもその名前が残されている。
全くの内陸である安曇野に入ってきた理由は、6世紀の「磐井の乱」に敗れて、筑紫から信濃へと逃げ込んだとの説もあり、「平家落人の里」のようで面白い。
その逃げ道だが、おそらく、「塩の道」と重なる「姫川沿い」ではないだろうか。
最終到達点はどこか、そのヒントは、この後に記す「食べもの」にあると思う。

 

安曇野の境 「安曇」という言葉は古くからあったようだが、安曇「」は臼井吉見の小説「安曇野」で定着した。本来の地名では、北安曇郡、南安曇郡で、「野」は付かない。なお、南安曇郡地域では、平成の大合併で町・村がなくなり「安曇野」のみとなって、郡名は消えた。残っているのは、「北安曇郡」で、小谷村、白馬村、松川村、池田町の4町村で構成されている。

 

・是より北・安曇野 安曇「野」の地理的な境目はどこか、視覚的には、梓川がそれに当たる。大糸線は、松本を出て、3駅を過ぎ、梓川の鉄橋を渡ると、次の駅が「梓橋」、ここには、「是より北・安曇野」の看板が立っている。この駅は、安曇野らしくホ-ムに数本のリンゴの木があり、花や実で観光客を楽しませる。。
※ 画像⑤ 大糸線「梓橋駅」の標識

 

・エゴネリ さて、「もう一つの境目説」は、海の民が食べる「食品」での分類だ。
佐渡の名産に「エゴ・ネリ」(日本海産の海藻をトコロテン状にした食品)がある。穂高のス-パ-でも販売されているが、これを食べる習慣があるのか、ないのかで、<安曇・非安曇>の線引きが出来るといわれる。

日本海の海産物でも、イカは、ボッカが運ぶ塩に漬けられて北安曇に入り、「塩イカ料理」に調理される。その塩の道は、松本が終点とされている。
エゴも、姫川沿いに「塩の道」を南下したのだろうが、海藻を食べる習慣については広がらず、松本にはエゴ・ネリを食べる習慣がないという。やはり、梓川の辺りで、海人「安曇族」南下は終わったものと考えられないだろうか。

なお、「塩イカ料理」は、太平洋岸からの塩(南塩・上り塩)との関係で、中信・南信全域に普及しており、「エゴ・ネリ」の食習慣だけが地域限定であるとの状況から推定して、信濃に入った安曇族の終点は『安曇野』だったのだ。
ちなみに、福岡には、「おきゅうと」と称する同種の食品がある。一族発祥の地筑紫・志賀島から、「乾燥いご草」を携えて、安曇族は信濃へやって来た。
※ 画像⑥ ボッカ(歩荷)の荷物(白馬の博物館)
※ 画像⑦ 佐渡産のエゴネリ(新潟駅にて購入)

 

各地に残る「あづみ」の地名 「あづみ」(安曇の文字から転じ「アド」も)の付く地名とその仲間、あたみ、あくみ、これをさらに「わたつみ」(海神)に広げると際限がないのだが、北から日本海側の海岸線を南下すると、温海町(山形)、安曇川町(滋賀・琵琶湖畔)、安曇川御厨(若狭から京都へ)、安曇郷(鳥取)、安曇郡・安曇郷(福岡県・新宮、和白=ここは発祥の地)と続いている。

瀬戸内海に入って、兵庫(摂津)安曇寺、大和に安曇田庄(大坂への水運)、太平洋岸を上れば、愛知に渥美半島、伊豆に熱海、そして、福島は、猪苗代湖の東に「磐梯熱海(温泉)」がある。ただし、こちらは頼朝の家臣「伊豆熱海」にゆかりの伊東祐長の支配地だった。ともかく、信濃の『安曇』だけが<全くの山の中>なのであって、逃げ込み説はもっともらしい。

碌山美術館 終わりに小話を一つ、穂高神社の近くに、彫刻家の「荻原碌山」を記念した美術館がある。この建設に当たっては、地元ばかりでなく、広く信州出身の人、ゆかりの人に浄財が求められ、多くの協力があって、実現した。

ときの穂高町長は、中央で成功した信州人を訪ねて上京、要請したが、その際、岩波書店の創始者「岩波茂雄」は、<居留守を使って協力しなかった> と臼井吉見が、「安曇野」で語っている。なるほど、岩波茂雄は南信の諏訪出身で、穂高のある中信とは仲が悪いのか。本に書かれては「男がすたる」というものだ。
なお、仲介の労を執り、多くの人を紹介して援助してくれたのは渋沢敬三であったとも記されている

 

(2019.11.25記)

 

風に吹かれて (2019年11月号:交通・鉄道・輸送・国防)

台風19号の被害で、中央線「あずさ号」の運休が続き、自宅庭の柿の収穫に出かける日程も大幅に遅れています。安曇野では、いまごろは野沢菜の成長期、甘みを増す<降霜を待つ>風情でしょう。今回は、交通問題を取り上げました。 関電高浜原発の金品授受は、「越後屋、おぬしもワルよのう」“菓子折の底に金貨”<黄門様もビックリ>の大珍事で、おそらくこれは流行語大賞ものでしょう。

 

● 胎内市のデマンド・タクシー
ライドシェア-型の「デマンドタクシ-」が普及してきた。新潟・胎内市のデマンドタクシ-は、その名を「のれんす号」、予約は1週間前から1時間前まで、乗り降りする場所の限定はない。9人乗りジャンボ・タクシ-か、または手空きのセダン(通常のタクシ-車)で、料金は一律300円である。利便性、低価格、有効利用などの点で好評である。ただ、タクシ-会社の運転手にとっては、売上げが小さいので「もっと普通のタクシ-を使ってほしい」との声もある。

(注)一般的には、市町村が、①長距離にならないよう走行エリアを細分化し、②立ち寄り先も、病院、ス-パ-、金融機関、駅など生活上の不便を補うものに限定することが多い。

 

● 国防と鉄道 新京成線と鉄道聯隊
このところ読んでみてとても興味深かった本の一つに、「ふしぎな鉄道路線」(竹内正弘:NHK出版新書)がある。明治時代の鉄道建設は、経済上の利便より国防が最優先で、①海岸か内陸か、②国営か民営か、③相互の乗り入れをどうするか、④戦時の軍事的利用のため民間利用とどう調整(制限)するかなどが議論され進められてきた。はるか昔から、洋の東西を問わず、戦争とは不可分だった。ちなみに、“汽笛一斉、新橋を”で出発した鉄道「最初の」国家任務は、<西南戦争のための兵隊や武器を横浜港経由で九州へ運ぶことだった>のだ。

なぜ新京成線は曲がりくねっているか>との疑問には、「新京成線」が軍事訓練演習線だったのが背景にあるとの指摘は、とくに面白い。①鉄道敷設部隊だから、訓練のため敢えて種々の条件を作った、②障害を避け効率路線とするため地形どおりの緩やかな勾配に沿わせた、③大隊規模の演習線基準=45kmを確保するためにわざと遠回りをさせたなどと解説されていて、どれも一理ある。

 

● 日露戦争とシベリア鉄道 単線輸送の兵站
戦争になりそうなとき、戦争になったときには、どれぐらいの軍需物資が、どのような輸送方法で、どの方面に輸送されているか、これからどうなるかを 予想し、見極めることが不可欠となる。
ノモンハン戦争では、独ソ接近の兆しに気づいたモスクワ駐在武官の土居明夫大佐が、東京への報告の途上で、徹夜でシベリア鉄道の輸送状況を観察する。
満蒙国境へと「銃砲、非常に大きな大砲、80門を中心に、戦車・機械化部隊が少なくとも2個師団は送られている」と警告するも無視される。これでは初戦から負けも同然だ。(田中雄一 「ノモンハン-責任なき戦い」 : 講談社現代新書)
また、日露戦争では、日本は、「シベリア鉄道は単線で輸送力に限りがある」と思い込んでロシアの兵站を予想した。実際には、単線でも「到着貨車は現地廃棄する」一方通行方式で物資は続々運ばれ、彼我の戦力差は顕著になる。
最重要の「兵站」を軽視し、日本陸軍は、インパ-ルでも、同じ過ちを犯す。

 

● 中世の悪党は水運を支配する?「婆娑羅太平記 - 道誉と正成」から
安部龍太郎の著である。後醍醐天皇と足利尊氏の戦いで、後醍醐側に味方した奥州の北畠顕家は、12月22日に多賀城を出発、25日に鎌倉を攻め落として、28日には遠江の橋本宿に達し、京都を目指した。この超スピ-ド移動の背景には、楠木正成一族の者たちが、兵糧、馬草、薪などの兵站を担っていたことがある。
悪党」といわれる正成たちは、兵力だけでなく金貸し、酒造り、水運など「重商主義的」経済活動の担い手、やり手でもあり、各地に商売の拠点を置き、情報にも通じていた。なお、最終的には尊氏についた佐々木道誉は、琵琶湖の水運を押さえ、日本海と瀬戸内海、場合によれば、中国との交易も行っていた。

(注)日本海は、「国を隔てた」のではなく、「国の交流を盛んにする」役割を果たしており、江戸の鎖国時代も同じであった。対馬と本土より対馬と朝鮮半島の方が近く、密貿易も、倭寇のようなものも日本-朝鮮共同のものであった。(宮本常一、網野善彦

 

● 瀬戸内海水運 ‐ 徳仁親王

以下は、「水運史から世界の水へ」(NHK出版)にある「瀬戸内海の水運」から、輸送業者と海賊について述べられた部分の要約である。
… 荘園年貢の輸送に従事していた「給田(給料)とり」の輸送業者は、荘園制度の変質とともに、商人的な色彩を帯びた輸送業者として成長し、その後、大型船を持ち配下に輸送業者を抱える船主とそうでないものに階層が分化していく。… 港に立ち入るときには、関所に寄港して関銭(関税)を支払う義務を負い、交通の阻害要因になっていた。ちなみに、15世紀半ばの淀川沿いには400もの関所があった。また、多島海である「瀬戸内海」は、海賊の住処であり、輸送業者には脅威であった。海賊の中には、中国や朝鮮半島沿岸部まで行き、略奪をする者もあった。これが倭寇といわれる集団である。

 

(2019.10.25記)

 

風に吹かれて (2019年10月号:人こそ見えね、秋の来て)

“人こそ見えね、秋の来て。庭の白菊、うつろふ色も、憂き身のたぐひと哀れなり”
およそ10年ぶりに、謡曲「紅葉狩」のおさらいをしました。この曲には、「鬼女」が住むという戸隠山の秋が絵のように詠われていて、何とも美しいのです。また、男の身としては、袂にすがる紅い深き顔(かおばせ)からの誘いを断り切れない平惟茂には、当然のこととはいえ、同情と納得を禁じえません。
そして、10月の安曇野で、稜線を赤く染めて暮れ行く常念山脈を眺めるとき、秋の到来は肌で実感され、涸沢カ-ルでの三段染めの景色も心に浮かびます。

一方、新潟・胎内の大学キャンパスですが、5月17~18日に田植えした稲を9月26日に全学総出、淑徳学園も加わって収穫しました。11月3日の「橙和祭」(大学祭)を控え、学生たちは準備に余念がありません。庭で育てた「パンダアズキ」、「大納言小豆」も収穫の時期を迎えています。
遠望する「飯豊」の山々に初雪が来る日もそう遠くないことでしょう。

 

● アシナガバチに要注意
9月初めのこと、穂高の自宅で庭仕事をしていたところ、剪定枝の中から飛び出したアシナガバチに、軍手の上から刺されてしまった。前の経験があるので、軽く消毒しただけで放置、油断していたら、翌日には、刺された辺りから赤く腫れてきて、熱も出る。右手は、まるでボ-ル玉のようだ。「これはいかん」とばかり、あわてて近くの穂高病院に駆け込んで、<医師による消毒→30分間の点滴→塗り薬・内服薬の支給→4日間の服用>になった。聞けば、スズメバチに限らず、「アシナガバチでも、二度めはアレルギ-が強くなるので要注意とのこと」、なめてはいけない、甘く見てはいけないのです。

帰京後に読んだ「農業共済新聞」のコラム「防風林」には、<攻撃性が高く刺傷件数が多いのはスズメバチだがアシナガバチも強い毒性を持つ仲間がいる>と書かれてあったが、いまとなっては「後の祭」=“too late”だ。加えて、<蜂の死傷事故による死亡者数は毎年20人前後>と恐ろしい解説もある。

 

● 柳田國男ふたたび
安曇野・穂高に滞在中には、臼井吉見の「安曇野」を読み返すことが多い。著者も述べているとおり、全5巻のどこから読んでもいいようにできているが、 頻度が高いのは、最終篇の第5部(戦争直後の完結篇)である。
先月号では、この中から「教育勅語」に関連した柳田の考え方を紹介したが、これに引き続き、柳田に関する逸話をもう一度とり上げたい。雑誌「展望」の 編集者になろうとしていた臼井が、戦争直後(1945.10)に成城の柳田を訪ねたときのエピソ-ドである。

 

・「烏勧請の事」
ユ-モラスだが、根は深刻な指摘である。ゴルフのプレ-中、カラスがボ-ルをくわえていってしまうことがよくある。柳田は、「この現象の発生地は島原半島にある」という。島原地方では、白い餅を空中に投げて鳥に与える習慣があった。この種の習性は、形を変えて日本のほかの地方にもあるのではないかと推理し、各地に残る「烏祭り」を調べ、烏にも「国史」があると結論づける。“烏たちの間には、歴史家がいないし、記録もない。人類のうちにだって、九割以上は、烏同様、記録など伝わってはいやしない。それを歴史がなかったの如く、考えることはもう許されない”

・戦争直後の意思・決意
柳田は、「今度といふ今度は十分に確実な、又しても反動の犠牲になってしまわぬやうな民族の自然と最もよく調和した、新たな社会組織が考へ出されねばならぬ」という。

・ぜひやらなければならないこと
国民固有の信仰、人の心を和げる文学、国語の普通教育であるとしたうえで、それぞれを説明する。
① これがどんなふうにゆがめられているか、証拠をあげて明らかにしたい。
② どんな貧しさと悲しみのなかあっても、ときおりは微笑を配給してくれるような、優雅な芸術が日本にはなかったか。芭蕉の俳諧などはそれだった。

・国民の普通教育
「自由には(教育の)均等が伴わなくてはならない。皆が(この戦争中、)一種類の言葉だけを唱え続けていたのは、…これ以外の考え方、言い方を修練する機会を与えられなかったからだ。こういう状態がこれからも続くならば、どんな不幸な挙国一致がこれからも現れないものでもない」
教育格差の是正が、自由な考え、表現、発言、行動を保証するというのだ。

 

● 日韓問題 ③

・ユニクロ
韓国に展開する「ユニクロ」は、187店舗、5000人を雇用、2013年~18年、アパレル分野でのシェア-は第1位、直近の売上高は1000億円という。
<不買運動>がいつまで続くのか見ものである。なお、韓国の学者によれば、こうした不買の動きは最近のものではなくて、200年以上も前からあったという。

・日本とのGSOMIAの破棄
韓国に対して、アメリカは本気で怒っているようで、今回は明確な反応を示した。「安全保障」に対する感覚が、韓国とはまるで違う。
日米両国との友好・自由主義体制から離れ、北朝鮮と組んで中国の傘下に入る、はるかな昔の「地政学的体制」への移行が見えてきたように思える。
米韓合同軍事演習も、実戦を伴わない<シミュレ-タ-・ゲ-ム>だったし、今までオ-プンだった在日米軍基地内の見学も<韓国人の入構拒否>に変わるという話も伝わって、アメリカが韓国を見放す時代がやって来たかのようだ。

・姉妹都市交流にも暗雲
8月19日付の日経新聞によると、日韓の姉妹都市数は162であるが、広域の自治体(特別市、道など) 17のうち文在寅の革新系は14を占めているそうだ。その傘下にある姉妹都市の行く末も大いに心配で、ソウル、プサンの「戦犯企業条例」の制定が、各地に伝染しないことを望みたい。

・法務大臣候補「曹国」の先手を打った記者会見
法相の強行任命と検察庁による妻や親族の起訴・立件へ、検察側と大統領府は大きな勝負に出たかに見える。
まあ、ことは数ヶ月以内には決着するであろうから、状況を見守るしかないのだが、ここでは、それに先立つ曹国の記者会見についての評価を述べたい。

テクニカルな面では、したたかで見事なやり取りという印象だった。①時間無制限でとことんやるぞという姿勢、②揚げ足とりやヒッカケ質問に乗らない、③法的に問題はない、その事実は知らないを11時間続ける忍耐力と答弁技術、これらは一目置かれる見事さだった。

そして、広い会見場を映した中継は、時間が経つにつれて閑散としてくる会場の風景を作る、<クライシス管理、結果誘導>の典型だ。それにしても、終盤戦の韓国メデイアの若手記者、スマホからの指示での質問は全く迫力に欠けている。自分の材料、意見、質問は持ち合わせていないのだろうか。

曹国は、「タマネギ」と称されるが、若いころから政治に入れ込んでいたので、彼には、<ポリ・フェッサ->=poli-tical + pro-fessorなるあだ名もあったとか。

 

● 「モト」は民主党

9月7日の「産経抄」が、立憲民主と国民民主の会派合流(衆117人、参60人)を、まるで韓国の「共に民主党」だと揶揄していたが、日本風では、「トモに」ではなく「モト(元)は民主党」の方がふさわしいと思うが。

 

(2019.9.27記)

 

風に吹かれて (2019年9月号:日韓問題、教育勅語、終戦の日など)

常念山脈は初秋の様相で、稲の穂も重そうに垂れています。安曇野・穂高は涼しくなって朝晩は20度を下回り、自宅の庭も、ホトトギス、シュウメイギク、ムラサキシキブ、ナツメなどの秋の花・実に移ってきました。この秋は、柿も豊作のようです。というわけで、9月半ばには、拠点を東京に戻し、これからは、11月末の冬支度・店仕舞いまで、東京-穂高を往復の日々になります。
さて、話題には事欠かない夏でしたが、今回は、日韓問題、柳田國男と教育勅語、終戦の日、青森・キリスト祭などについて感じたことを記します。

 

● Don’t move the goals - 日韓問題 ①
最悪の状況にある日韓関係だが、日本は、国際社会に対し、あらゆる事実を洗いざらい、かつ、客観的姿勢で伝え、これを通じて、真・偽、正義・不正義を明らかにする時期に来たと考える。

韓国による「世界PR作戦」も恐れたり動揺したりすることはない。個人的な経験にはなるが、国際小麦協定(IWC)の会議での様子を紹介しておきたい。日本、米国、EU(当時はEC)が対立したとき、ECは、「国際会議や」や「国際交渉や」と称される手練れの外交官(ジャコ-、ピズ-チ)を送り込み、延々と演説をぶち、米国非難し、日本を挑発して、各国の支持を取り付ける作戦をとった。
ある種の詭弁でもある「弁論作戦」だったが、今回WTORCEPに派遣された韓国代表もその類いと推測している。オウム教団の「ああいえばジョウユー」のような連中で、議長から「関係ない垂れ流し発言」を制止されたといわれるが、国際会議では当然のことだし、また、それを、彼らは気にもしない。

韓国に対しては、最小限でも、国際約束(条約・協定)は遵守する、 関係のないところでの触れ回りはしないの2点をねばり強く求めていかなければならない。

 

● 二度と負けない - 日韓問題 ②
文在寅大統領は、8月2日発表の国民向け談話で、「二度と日本に負けない」と語った。はて、それでは、「一度目の負け」とは何時のことなのだろうか。

①モンゴル(元)の属国・手先となり日本を攻めて敗退の「元寇」(1274年・文永の役、1281年・弘安の役=2回の負け)、
②豊臣秀吉に攻め込まれて、最後は講和になる「朝鮮出兵」(1592年・文禄の役、1597年・慶長の役=引分け)か。
いずれにせよ、①、②での当事者は、元や明の支配下にあった「高麗」(南北統一朝鮮)である。この歴史を振り返ると、文大統領の語った「南北経済協力で平和経済が実現すれば(中略)一気に日本の優位に追いつくことができる」という含意=高麗朝鮮も妙に現実感を持つ。他方、国内には、『今回も負け戦さだ』と経済についてのdamage control(=言い訳)が出始めているともいわれる。

さて、朝鮮半島と日本の軍事、政治、経済、文化の関わりは古くから数多い。いくつか事例を挙げれば、①半島に高句麗、新羅、百済の3国が覇権を争っていたころ日本が百済を支援し唐・新羅の連合軍に敗れた「白村江の戦い」(663年・天智天皇)、②内戦に敗れた百済難民を引き受け定住させた埼玉・高麗郡の誕生、③半島海岸線の村や海を荒らし回わった「倭寇」(13~16世紀)(実態は、後期では大半が朝鮮民族同士での争い・略奪=偽装倭寇だったとの網野善彦の説)などである。ともかく、両国の歴史は古く、長く、複雑なのだから、より深く、より冷静に観察しなければならない。では、某大統領につぎの警句を贈ろう。

“勝つ勝つといって訴訟を起こし、負けては大変だといって金を取り、負けても自分のせいではないというのは悪徳弁護士の常とう手段である” (正木ひろし弁護士)

 

● 柳田國男と「教育勅語」
9月に内閣改造が行われそうだが、文科大臣が交替するようだと、記者会見で、一部マスメデイアから「教育勅語」に関する<ヒッカケ>質問が予想される。

これまでにも、「部分的にはいいところがある」などと中途半端な回答をして、墓穴を掘る歴史勉強不足の新大臣もいた。ここで、参考のため、農政の先達にして著名な民俗学者の「柳田國男」の指摘を紹介しておこう。彼は、「教育勅語」についてはっきり否定した。(臼井吉見「安曇野」第5部)

“ あんなものは、武士仲間ならともかく、一般庶民や農民には、もともと縁もゆかりもないもので、ああいうものを上から押しつけたことが、そもそも、まともな道義が育たなかった根本だ。わけても、村の衆の間に強く生きていた近隣同士の思いやり、これを伸ばして育てなかったのは、教育勅語の大きな罪だ ”

戦争のさなかにもかかわらず、こんなことを講演会で発言するものだから、憲兵に狙われるというとんだ目に逢うことになったと(臼井吉見は)いう。

 

● 終戦の日に - 若き自由主義者の三つの遺書
北安曇郡池田町の出身で松本中学から慶応大学へ、大戦末期に鹿児島の知覧から出撃、特攻死した「池田良司」の遺書が8月15日のテレビで放映された。
彼の遺書は、①型通りのものと②本音のもの、そして、③は、初恋の人への謎めいた本であった。第2の本音の遺書では、概要つぎのように述べている。
“権力主義、全体主義の国家は必ず敗れる。自由主義こそ合理的で、自由主義の国の勝利は明確だ。そして、いま、自由主義者が一人この世から消える”

彼に影響を与えたのはイタリアの哲学者「グロ-チェ」で、第3の遺書は、グロ-チェの著作の特定の文字を丸で囲って、続けて読めば初恋の人へ自らの意を伝える文章になっていたという。自由を育んだ安曇野らしい逸話である。

 

● 青森のキリスト祭ふたたび
平成28年の8月号で、日本三大奇祭の一つとして、戸来の「キリスト祭」(青森県新郷村戸来 = ヘライ ← ヘブライ)を紹介した。JR東日本の車内誌「トラン・ベ-ル」の8月号には、実際の画像が掲載されている。これを、一見すると、浴衣姿の女性たちが踊る「なかなか楽しそうな盆踊り風景」に思える。

ちなみに、繰返しにはなるが、祝詞には、「イエス・キリストは、シベリアに渡って八戸に上陸し ・・・(中略)・・・ 浄めたまえ」との意味が込められており、これらを織り込んだ「古い盆唄」(賛美歌ではない)を歌いながら村人は踊るのだという。
(注)「キリスト祭」は、毎年6月の第1日曜日に行われ、式はなぜか「神式」、「神をたたえる古代ヘブライ語の軍歌」ともいわれる詞章は、<ナニャドヤラ ナニャドナサレノ ナヤドヤラ>と聞こえるそうだ。(8月7日付け読売新聞から)

 

● 古本の供給者は60代、70代?
古本市といえば「神保町」だが、かつて入手しにくかった希少、貴重な本が、最近は、かなり楽に買えると聞いた。①デジタル化の影響、②親子関係で子や孫たちは書籍に相続価値を認めない、③終活が盛んになり、前提として「断捨離」 も流行っているなどが原因として考えられるが、確信はない。

実際にも、知人が所有する「大事な書籍」を出身母校に寄付したいと、申し出たところ、「スペ-スがありませんので」と丁重に断られてしまった。とくに、60、70歳代からの古本供給が増加しているそうで、ちょっと残念な気持ちだ。

 

(2019.8.27記)

 

風に吹かれて (2019年8月号:近ごろ印象に残ったこと)

7月20日のサンケイ(コラム)は、楽しかった。日韓関係悪化で日本製品の不買運動が起きている。これと連動してか、<最近、地方の教育当局が「修学旅行」は日本語だから使用はやめようと日本語追放策を発表した>とある。
これに対し、さすがに識者から、<そんなことをいえば、教育、学校、教室、国語、理科、社会、憲法、民主主義、市民、新聞、放送 … すべて日本製ではないか>と笑われているらしい。よく考え、調べてから行動して欲しいものだ。

 

● Do you feel ・・・ ?
これも7月のある日のことで、安曇野・穂高のそばやで昼食を取っていると、近くの席からの会話が聞こえてきた。観光客らしい外国人男性を囲み接待側の60歳台の日本人女性3人による英語でのワサビ談義である。砂糖をつけながら摺り下ろすと辛みが増すのを実演して見せている。下ろしたワサビを味わってもらうのだが、その結果を問うところで行き詰まっていた。

Do you feel “tsun-tsun”? ・・・Do you feel “hiri-hiri”? 
Do you feel “piri-piri”? こう繰り返していくと、相手には、なんとなく通じたようなので、まあ、擬態語も悪くはない。

 

● 日本は理想の国?
「新・世界の日本人ジョ-ク集」(早坂隆著・中公新書クラレ)には、こういう一節があるそうだ。
<天地創造の時代に、神は理想の国を造ろうとした。地味豊かで、四季に恵まれ、勤勉な人々の住む日本という国を。横から天使が口を挟んだ。「ほかの国から不満が出ませんか」。ウ-ム、神様は思案した。「それもそうだな。では隣を韓国にしておこう>

 

● 万葉集と「なびけ、この山!」
令和の年号が「万葉集から」と報じられ、高校時代に古典の先生が万葉集の歌のダイナミックさを江戸時代の俳句と比較してこう解説したのを思い出した。

“東(ひんがし)の野に かぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ”
“菜の花や 月は東に 日は西に”の比較で両者には、「動」と「静」で、大違い。

なるほど、自然と対峙するとき、万葉では、きわめてアクテイブなものがある。山に隔てられた遠国への赴任の旅にあって、恋人の姿を見たい、家を見たい、そこで登場する言葉は、“妹が門見む 靡けこの山”であるし、夫の遠国への配流に際し、“君が行く道の長手を操り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも”とその妻は激しく謳う、これが万葉時代の歌人であった。

 

● 県歌と郡歌
“信濃国は十州に”で始まる「長野県歌・信濃の国」をここでも取り上げたが、明治末期、1900年代初めには、全国の各地で市町村や郡の歌も作られたそうだ。
小谷、白馬、大町、松川、池田を束ねる「北安曇郡」にも郡歌があって、その歌詞の一部は、山国らしく、“山岳めぐる北安曇 高嶺の雪は夏涼し”である。

 

● 「水運史から世界の水へ」
天皇陛下が皇太子殿下の時代に講演をされた記録集「水運史から世界の水へ」(徳仁親王著・NHK出版)は、実にわかりやすく、興味深く、優れた著である。海外での英語のご講演もあるので、“ Speeches on Water Issues by Crown Prince Naruhito”とも記されている。

そして、「はじめに」の部分には、こう書かれている。
“生物の根源であり、ほかに代わるものない大切な水が、人々が知恵を出し合うことにより、分かち合われ、その結果、紛争や貧困、教育やジェンダ-などの問題が改善され、平和と繁栄、そして幸福がすべての人々にもたらせるようになることを心から願わずにはいられません”

個人的な関心領域でもある「古代・中世の琵琶湖・淀川水運」「瀬戸内海水運」「江戸と水運」(利根川の東遷、見沼代用水と通船堀、江戸の上水道など)は、納得しながら読むことができた。
これからも、ご研究の継続に合わせて、ぜひご講演の機会をもと切望したい。

 

● 秋田に 「イージス・アショア」
これはまた、とぼけた、能天気な話である。常識的に考えれば、秋田は某国からハワイへ、山口は某国からグアムへの飛行線上にあるからこそ「イ-ジス・アショア」を設置するのではないか。堂々と胸を張り「安全保障上の戦略拠点」といえばよいものを、「山の高さなど地形から割り出した立地、計測した数字はこうである」などといって、逃げようとするからおかしくなる。

それよりなにより、この大事な数字を <グ-グル・ア-スで計算した>とは、平和ボケにもほどがある。こんな数字の取り繕いに精を出すから居眠りもする。

 

● 松尾芭蕉と謡曲
芭蕉は、あらゆる古典に通じ、これを自らの句に取り込む大俳人なので、その解釈には骨が折れる。6月のある日、新潟への新幹線で読んだ「野ざらし紀行」には、“猿を聞く人 捨て子の秋の風いかん”とあって、なんのことやらと思って脚注を見れば、小さな字で「謡曲・鞍馬天狗から」と記されている。

なるほど、「哀猿雲に叫んでは 腸(はらわた)を断つとかや 心すごの景色や」の詞章が下敷きなので、これがないと理解は不能のようである。

(注)本当に捨て子がいて、それを無視したのか、ここは疑問である。

 

● インフルエンザ=スペイン風邪は誤解
第一次世界大戦の末期のことである。枢軸国と連合国の双方は塹壕の中で睨み合って、戦線は膠着状況であった。その帰趨を決めたのは、
①ドイツの戦略間違い、
②枢軸国側への補給の枯渇、
そして、③インフルエンザ だったという。
アメリカの参戦に伴って、大量のフレッシュな兵隊が西部戦線に投入された。同時に、それは、流行中のインフルエンザを持ち込むことにもなった。

戦争当事国でないスペインでは情報制限がなかったので、インフルエンザ・エピデミックが報じられ、世界に配信されたため「スペイン風邪」とされたが、これは濡れ衣で、震源地はアメリカだった。ところが、このインフルエンザ、アメリカ兵にも英仏の兵隊にも伝染して、影響を与えた。しかし、より強烈なダメージは補給不足、栄養不足のドイツ兵で、これは致命的であったのである。

なにせ、当時のドイツは、経済封鎖の下で物資が不足し、つまり、ドイツは、「総力戦」に敗れたのである。トラックのタイヤに使うゴムは100%輸入だから、ドイツの車両はゴムタイヤではなくオ-ル鉄製、食べ物はなく、兵隊は泥棒と化するか戦線離脱、ある師団では、2割の兵が脱落したともいわれている。

その後、ナチスドイツが「総力戦」に備え、人造石油開発、化学技術向上を図り、また、食料の点では、肥料を国内自給できるよう有機農業体制を組む。
なお、いまや世界中で当たり前になっている「システムキッチン」にしても、女性の家事労働時間を減らして軍需工場で働かせる時間を創出するために考え出されたものなのである。

(注)「1918年最強ドイツ軍はなぜ敗れたのか」などを参考にした。

(2019.8.1記)

 

風に吹かれて (2019年7月号:「腐敗と格差の中国史」を読んで)

「腐敗と格差の中国史」(岡本隆司:NHK出版新書)を興味深く読んだ。その第一印象は、政治・社会支配体制は移っても「中国の底流は4000年間まったく変わっていない」ということである。少々意図的には過ぎるかも知れないが、ここに、要点と感想を記したい。

 

「外交の要諦は、<する>と<しない>である」と外務省の知人がいう。2つの覇権国家のうち、アメリカとは「仲良くする」、「中国とはケンカしない」との 意味であるが、<しない>ためにも、悠久の歴史を知ることが大事だと考える。

 

● 腐敗と格差はいつ・なぜ生まれたのか
清廉のはずと思い込まれている社会主義体制」だが、中華人民共和国の建国 2年後に起きた「三反運動」(党幹部・官僚の汚職・浪費に反対し告発する運動)による重大事件で摘発された者は29万人だった。毛沢東の「文化大革命」では大量処分が起きており、習近平政権下でも、公職にある者の汚職は年間5万人、1日500人以上の処分とも伝えられ、なにも変わっていない。(‘15.3の報道) 「国家主席の任期制限を撤廃する」とした背景には、習近平の事実上の皇帝への即位によって「一君万民的な社会構造」、つまり、相対的には、フラットで身分・階級、拘束・格差の少ない社会構造とし、腐敗を一掃することを目指す。これは、遙かな昔の秦の時代に完成した「旧体制」への回帰を志向する。こうした社会構造下での統治には「官僚制が最適」だが、かえって、「一君」周辺の特権階級層とその利害関係者層の形成に戻っていくことにも繋がる。

 

● 共産主義国家になっても、なにも変わらない
一方、外交交渉では、こうもいわれる。「すべてが決まらないうちはなにも決まらない」結論を急ぐようだが、部分的な改革とやらが行われても、構造、行動、成果の全てがそろわない限り、中国は何も変わらない。秦の時代以来の社会構造の根本に変更がないからだ。社会主義、共産主義といっても、それは、皇帝制度の「形式的な名称変更」に過ぎない。
・官僚  長らく官房副長官(事務担当)を務めた古川さんは、「官僚制度はいかなる時代も不可欠だ。それは、王政、共和政、独裁政、民主政、共産政を問わない」と話しておられた。そして、不思議なことだが、この官僚制度は、烏合の衆や群雄割拠の下では機能しない。「一君万民」で、支配される「民」は、「その他の人々」として「相対的にはフラットな構造」であることを要する。もちろん、現象として出てくるときに、「多少の変化形」はある。基本形は変わらず「表面的な変化」があれば、その背景と性格のいかん、どの程度に組織だっているかなどにより時代の特徴が形成されていく。基本が変わらない状態であれば、官僚制度は、これに柔軟な対応をしていくものだという。
・権力 中国の官僚制は、群雄割拠が終わり皇帝制が発足した秦漢王朝時代に始まり、その基本的な枠組みも、皇帝政が続く限り存続した。しかし、その流れすべてが一様なのではなく、①中央権力のトップダウン的秩序維持⇒②ボトムアップ的な地域勢力の伸張・凌驚(後漢~南北朝)⇒③両者間のバランス均衡(後周~北宋 10 C)と多少の変化はしている。
・腐敗 近現代以前の中国では治者を「士」、被治者を「庶」と区別し、科挙に合格すれば、「士」として、本人の富貴が保証されるのはもとより、その一族・関係者に余沢が及ぶ。人々が争って「士」となろうとしたのは、「庶」では獲得不可能な一身の栄達利禄と一家の財産の保全という功利的な理由からだった。 人口増加と地方行政組織の複層化によって、中央からの「士」による統治と地方・出先のボランテイア的実務家(これを「吏」と称し、表向き、中央からは 俸給が支給されない)の組合せでは、必要な経費が賄えなくなり、円滑な行政遂行ができなくなる。そこに生じたのが、賄賂を含む独自の収入源作りである。

 

● 清代改革とその末路
李鴻章の兄に、広東省全域を治める総督を務めた「李瀚章」がいる。彼の表向きの年俸は英国水兵並みの60ポンドといわれているが、毎年の誕生日に集まる金はその3000倍だったと記録に残っている。 「士」になり「吏」になることは、生活の資を確実に稼ぎうるだけの私的な手数料ないしは賄賂を得られることなのであった。

● 革命のターゲット
孫文の辛亥革命における主張は、表向き「三民主義」(民族、民権、民生)だったが、真のタ-ゲットは、<満州人の清朝支配からの脱却>=易姓革命で、皇帝になることだった。死去時の<革命いまだならず>は、意味深長である。

 

● 〇〇長官は一族を養う? この話の終わりに余談・経験談を一つ。福建省出身の若手の経営成功者が、 小生に向かって、「渡辺さん、長官になると大変でしょう。親類縁者や一族を 養わなければならないから。でも、これからは、地方出張などに行けば、いろ いろと付け届けやお土産があって、財産もできますね」ときて、愕然であった。 社会主義大国を自称する中国、しかし、実態は、いにしえと全く変わらない。おそらく、腐敗・犯罪の撲滅は「永遠に果たせぬ夢」であろう。(2019.6.25記)

(2019.6.25記)

 

風に吹かれて( 2019年6月号 :英語に強くなる本)

月に2回発行される雑誌「プレジデント」の4月15日号を読んで、はるか昔の 「英語に強くなる本」(岩田一男 光文社カッパブックス)を思い出した。(プレジデントの特集は 「中学英語でペラペラ喋る」 “1200単語で大丈夫”)

 

●英語に強くなる本
これは半世紀以上も前、高校入学の1961年の発刊である。そこには、「文法・文章英語」とはまったく異なる切り口でのユニ-クな事例が数多く紹介されていて、その当時の岩田先生には、面白く、新鮮で楽しい印象が残っている。

 

①単語だけで繋いでも通じる ⇒ ファ-ザ-・マ-ザ-・浅草・ゴ-!
②耳から聞いた英語を日本語に置換える ⇒“ What time is it now ? ” は、→「掘った芋、いじるな?」
知人によれば、これは、「ジョン・万次郎」がそのように伝えたらしい)
③アクセントを強調する ⇒ 英国で、電車の切符を買うとき、“ West Kensington ”を「ウ・エ・ス・ト・ケン・シン・トン」といったが通じない。⇒ <上・杉・謙信>といったら通じた。(作り話的な感じもするが・・・)
④ 英米人が話すのを子供が聞いて ⇒英語では<赤=ウレ!> <白=ワイ>だ。
⑤ 英語をかじった人が、列車で「ニュ-ヨ-クまで」と注文したが通じない。 ⇒「これは前置詞が違った」と思い込み、<to NY>といい直したら2枚、さらに、<for NY>といい直すと4枚、ますます混乱し、<エ-ト・・・>と考え込んだら、最後には <eight tikets NY>と、これは笑い話。
⑥港の荷揚げで見たアメリカ兵、「でっけえ、でっけえ!」と江戸っ子のようだ。⇒ いや、いや、“Take care , take care ! ”「気をつけて、気をつけて!」の 聞き違えだった。

 

いかがであろうか、筆者の記憶を辿ってのものだから、正確性には欠けるが、ともかく強いインパクトだったことだけは確かであり、それらが、未だ廃れず、後述する「プレジデント」の記事に引き継がれているのだろう。

 

● 週刊プレジデント(4月15日号)からの抜粋
<今すぐ使える!シ-ン別「空耳英語」会話集>からの抜粋だが、筆者の目から見て、「これは近い」と思われるものに限定し、ややデフォルメもしてある。

 

① 堀った芋いじるな(略)
② どういう飲み? = Do you know me ?
③ 幅,ないっすね~ = Have a nice day !
④ 稚内、どう? = What can I do ?
⑤ あ、どなたさ~ん? = I don’t understand .
⑥ 兄い、移住 = I need you .
⑦ アホ、みた~い = Ah , hold me tight !
⑧ 荒井・注 = I’ll write to you .
⑨ 稚内、せい! = What can I say

 

● 小学生からの英語は何を目指すか
いよいよ、小学校からの英語教育が始まる。指導する教員の組織体制、能力の程度が心配である。十分な準備態勢を整えてからスタ-トすべきではないか。小学校高学年の時期に大事なことは、まず日本語能力を高めることであって、コンテンツのない英会話の棒暗記、それも悪い手本を教えるのは弊害になろう。英語の試験で呻吟する大学生に、試験官が“How are you ?”と尋ねたら、“Oh,I’m fine thank you , and you ?“ と答えたとか、笑い話ではない。
自分が中学校に入学して初めて英語に接したときの先生が、Bellは「ベオ」、Dollは「ダ-オ」、Calforniaは「キャッ!フォ-・ニア」と発音され、目のウロコ、ああ、英語って面白そうだなあと思ったことを思い出す。(たしか兼子先生)

 

● 真似る~記憶する~変化させる~コンテンツと結ぶ
英語を学ぶ目的・目標が大事である。筆者が勤務の「新潟食料農業大学」では、英語が必修科目で4年間続く。つまり、90分授業を120コマ学習する。その目的はただ2つ、
①インタ-ネットで海外と情報交換できる、②自分たちが生産・製造した産物のプレゼンテ-ションができるである。流ちょうな英語は求めない。120コマで120フレ-ズを覚えれば、大がいの意思伝達は可能だ。あの「プレジデント」の副題「1200単語で大丈夫」に共通する。要は<中身>だ。 (注)小学校5~6年で覚える単語数は500~600単語といわれている。 それぞれの職業と必要に応じた英語での対応、たとえば、国際会議の英語、 タクシ-運転手の英語、食料・農業者の英語だ。専門用語はこちらの方が強く、使われる単語と言い回しは多くない。そして、講義で、ケッタイな英語の事例、通じる英語の事例として、ときどき引用するのが、「African Englishでは、“good→better→best”に代えて、“good⇒good・good⇒good・good・good”も使う。共通語としての英語は、世界中で多様な進化・発展し続けている。“Japanese English”で堂々と行きましょう」

(2019.5.26記)

 

(追補)5月のある日、ある新聞に、「自動翻訳(無料)アプリ」に誤訳が多いと報じられていた。なかでも傑作だったのは、大阪市の地下鉄「堺筋線」の 英語訳である。⇒ Sakai-Muscle-Line (これが公共広告で掲示される)
さらに、「遺失物取扱所」が、Forgotten(正しくはLost and found、または英国ではLost property office)
ついでにもう一つ、相当に古いことではあるが、亡くなった大橋巨泉が紹介しているものすごい翻訳はこれだ。
“Here’s looking at you , Kid.” (ご存知、映画「カサブランカ」の名セリフ)
当時の翻訳機では ⇒ 「ここにお前の顔つきがある、冗談を言え!」だと。 正しくは「君の瞳に乾杯!」、もちろん、こちらは<意訳>ではあるが・・・。
さて、「明石家さんま」のTVコマ-シャルに登場する最新の翻訳機であるが、その正解度や実力の程度どれほどか、しばし楽しみである。

 

風に吹かれて(2019年5月号:照葉樹林文化・マムシ草など)

新元号は「令和」と決まりました。M→T→S→Hと来て、略式表記「R‐」は一般化するでしょうか?「今回は日本古典から」の観測はありましたが、「記紀」では生臭い、「万葉」は造語が難しい、「序から採取」とはナルホドでした。
即位・改元のご祝儀・振舞いで「ゴ-ルデンウイ-ク」は10連休、ちょうどそのころ、あづみ野には、薫風、残雪と百花繚乱のベストシ-ズンが訪れます。

 

 さて、JR御茶ノ水駅では、バリアフリ-化が進行中で、各ホ-ムには、「上り
下り」のエスカレ-タ-とエレベ-タ-が供用開始されました。とくに、エスカレ-タ-は一列分=狭いもので、追越しや接触の恐れもありません。病院銀座といわれながら「怖かった」これまでがおかしく、整備は遅すぎたくらいです。階上はたぶんコンコ-スになるのでしょうが、濠を挟んで離れている地下鉄の「丸の内線」との接続はどうなるのか、改善の結論を早く知りたいところです。
もう一つ、近くに養護学校があるのに「日本一危険な駅」といわれるJRの飯田橋駅、極端な湾曲ホ-ムの修正ですが、市ヶ谷駅方向へストレ-トに延伸される土台が見えてきました。かつての「牛込駅」の場所に戻る感じです。

 

照葉樹林文化・縄文文化  瀬川拓郎の著作によって、縄文文化・アイヌ文化に関する関心が高まっている。「縄文時代は採集で、農耕は弥生時代から」 という
思い込みは、このところ、かなり、薄らいではきたが、なお消えていない。

 

縄文文化に重ねて、上山春平編「照葉樹林文化」(中公新書)を読み返したが、ここで中尾佐助が照葉樹林文化の農耕方式発展過程を5段階に分けている。
① 野生採集段階  ・ナット(クリ、トチ、シイ、ドングリ)
・野生根茎類(クズ、ワラビ、テンナンショウ)
② 半栽培段階・・・  品種の選択・改良が始まる(クリ、ジネンジョ、ヒガンバナ)
③ 根菜植物栽培段階 サトイモ、ナガイモ、コンニャク、焼畑
④ ミレット栽培段階 ヒエ、シコクビエ、アワ、キビ、オカボ
⑤ 水稲栽培段階

 

① に出てくるテンナンショウとは、サトイモ科の「マムシ草」のことである。
デンプン質を摂取するため、飢饉のときなどにはソテツ、ヒガンバナを食べたという話が伝わるが、マムシ草も同様、毒性のものだが、煮沸、水晒しにより
食用が可能となるとも紹介されている。おどろおどろしい画像であるが、よく見れば、サトイモに似ていないことはない。ちなみに、サトイモは、英語では、
Taro、ジネンジョはJapanese Yam、タロイモ、ヤムイモの同族である。

 

縄文後期の遺跡でも、集落規模が、初期の頃に比べて大きくなっている様子
から推測すれば、単なる採集だけでは増える人口を維持できたとは思えないし、もう少し食物の化石などが出てくれば確定できるが、この④段階だったのかと推測できて、縄文=採集一本槍ではないと考えている。何しろ、縄文の時代は、1万年以上の長きに渡るから、その間まったく同じレベルにとどまるはずもなく、照葉樹林文化の発展段階に重なるほどの進歩は十分可能だったことだろう。

 

● 「昆虫は美味い」 (内山昭一 新潮新書)
この本のなかに、「FAO(国連食糧農業機関)が昆虫食を推奨している」という
記述が見える。(169ペ-ジ~)2013年の報告書 = 「食用昆虫―食料と飼料の安全保障に向けた将来の展望」は、持続可能な食料として家畜に比べた昆虫の環境的優位性をつぎのように強調しているそうだ。

 

・飼育転換効率がよい 牛肉1kgには10kgの飼料、コウロギは2kgで済む。
・昆虫は可食部率が大きい 牛の可食部は40%、コウロギは80%もある。
・温室効果ガスの放出量が少ない 昆虫は温室効果ガスやアンモニアの放出が
極めて少ない。反芻動物は、体内発酵や糞尿で長期、大量に排出する。
・有機廃棄物で飼育ができる 昆虫は、人間や他の動物の廃棄物で生育できる。
フンコロガシがいなかったら、地球は糞まみれだ。(奈良公園の鹿は1300頭、1日の糞量は1トン、35種の「糞虫」が食べて公園をきれいに保っているとか)
・人間の食べものと重ならない 蚕は桑の葉で育つ、その一方で、穀物を食べる
家畜は人間と競合している。
・高栄養食品である タンパク質、必須アミノ酸、不飽和脂肪酸、ビタミン、
ミネラルなどの宝庫である。
安曇野のス-パ-には、ハチの子、イナゴ、カイコの蛹など、昆虫類の食品が
ごく当り前に並ぶ。環境、持続的発展に寄与し、信州人の長生きの源でもある。

 

● ペーパーレス社会なんてホントかね?
セイコ-・エプソンの調査によれば、大学生が4年間の学生生活で印刷する
紙の枚数は平均7630枚に上るという。いくらかは減少に向かっているようだが、依然として大量の紙が必要とされている。
また、年配者にとって、パソコン画面の文字は読みづらく疲れるため、つい
つい印刷して紙媒体で読んでしまう。結果的に、紙は減らず、インクは大量に
消費するで、まことに悩ましいところである。

(2019.4.25記)

 

風に吹かれて( 2019年4月号 : 関ヶ原の戦いの謎ほか)

これは、ちょっとした材料をつなぎ合わせた「個人の勝手な想像」でもある。

 

● 鉛で葺いた金沢城の屋根(石川門)

金沢城の屋根は鉛板で葺かれている。インタ-ネットには、「腐食に強く、

壮観な外観とするため」などと書かれているが、50年ほど前にこの地を訪れたときには、「いざ徳川方との戦になったときには、鉄砲の弾丸にする」と聞いた。

 

 城の構築に際しては、出来るだけ高台にして堀を巡らし、内部の通路構造も複雑なものとし、守るに易く、攻めるに難しくする。また、城内には枯れない井戸を持ち、食糧の備蓄をするのが常識だった。熊本城では、壁の漆喰にイモガラを練り込んでいたともいわれる。武器の準備も全く同じだが、肝心なのは、そうした戦時への備えを、支配者である徳川幕府からは睨まれないよう、近隣には悪い噂が流れないようにしておくことが、お家存続の要諦であった。

 

● 五箇山の「塩硝」

弾丸(鉛)の備えがあっても、「火薬」がなければ鉄砲の発射は出来ない、

火薬はどこから調達したのだろうかとの疑問を思っていたところ、最近のJR西日本の「社内誌」(1月号)を見て氷解した。

 

火薬は「硝石」から作られる。輸入などの外部からの調達が出来ない時代、自国領内でこの役目を担っていたのが、加賀藩では、「五箇山」であったというのである。養蚕が盛んで、茅葺きの大きな家を持つこの地では、畑の土、山野草、蚕の糞、これらを5年ほどかけて「塩硝」(=人工の硝石)にする。また、精製・濃縮するために使われたのが、合掌造りの大きな家内で生じた大量の灰である。加賀藩の防衛を支えてきた「火薬原料」の秘密工場は五箇山だったのだ。

 

● 面従腹背、いざに備えて

百万石の大大名「加賀前田家」は、大藩の創始者たる前田利家が、秀吉の死後、

秀頼の後見役を務めたこともあって、徳川家康にとっては「目の上のたんこぶ」、いずれは縮小、転封、取潰しもあり得たのだが、この藩は、時代をしたたかに生き抜いた。利家を継いだ「利常」は、母(まつ)を人質に差し出してまで

お家を守り、むしろ大きくした。秀吉が家康をなびかせるため、実母を人質に江戸へ送った故事に倣ったのだろう。美しい金沢城の「鉛葺きの屋根」の背景には、そうした大きな流れがある。もちろん、心の内は違っていたと思う。

 

鉄砲の伝来以来、戦いは、槍や刀の個人戦ではなく、弾丸(鉛)、火薬(硝石)、鉄砲の準備があっての集団戦で、これらが継続的に供給をされなければ敗北は必至であったのだから、常日頃は、昨年の流行語の「面従腹背」、現実の面では、NHK「チコちゃん」のいうとおり、“ボ-っと生きてんじゃね-よ” と備えていた。

 

● そして関ヶ原の戦い

1600年9月15日の戦さ、当初は、東西両軍の勢力比と布陣の状況からして、

かなり長引くと考えられていた。会津の上杉景勝もそう判断して、手薄な旧領「越後」に攻め込んだ。しかし、戦いは6時間ほどで終わってしまう。「小早川金吾秀秋の寝返り」が原因というのが通説だが、全体を大きく見れば、家康の政治・軍略的手腕と西軍側の士気の低さがあり、こと時間の長さに関しては、火薬、弾丸の補給が、双方ともに長期を戦うレベルになく短期決戦にならざるを得なかったと想像できないだろうか。

金吾が裏切ったことを揶揄して、(将棋では裏返らないはずの)「金」が返って徳川の勝ち などとも囃されたといわれている。

 

● ドイツの有機農業へ

「トラクタ-の世界史」の藤原辰史は、農業と戦争の関係の解明に優れた

著作を持つが、その一つに、「ナチスの有機農業」がある。

第一次世界大戦では、ドイツは、経済封鎖と総力戦に敗れる。これを痛感したナチスドイツは、戦時下の海上封鎖によって農産物の生産に不可欠の化学肥料(硝石が原料)が輸入できなくなり生産力が落ちることへの対応措置として、家庭、市街地、農場の有機物を堆肥化して、肥料不足を補おうとした、これが

「有機農業」 の始まりだというのである。

(空中窒素固定法で事態は変わるが、藤原は、農業と戦争の関係を、肥料→

火薬、化学兵器、枯れ葉剤→農薬、トラクタ-(キャタピラ-)→戦車などと、共通性や転用の点から説得ある分析をしている)

 

安全・安心、伝家の宝刀のように持ち上げられている「有機農業」の誕生はこのような経緯があったのである。完熟すれば堆肥肥料、ただ腐らせれば毒物、有機農業も、決して、無条件に安全・安心ではなく、万能でもない。

 

● システムキッチン、ワンダーフォーゲル、ラジオ体操90年

総力戦との関係でもう少し「話題提供」をしたい。母校の「九中・北園創立

90周年記念式典」でも話したが、物ごとは<鳥の目、虫の目、トンボの目>で大きく、細かく、多角的に見なければならないと思う。

 

 「システムキッチン」 は、ナチスドイツの時代に発展を遂げたが、台所における主婦の家事労働が合理的に行なわれるようにと考え出されたものなのであって、女性の浮いた時間を銃後の労働に従事させる「総力戦争」の政策手段の一つだ。

また、日本では、ほとんど思想的な背景なしに盛んな「ワンダ-フォ-ゲル」や「ボ-イスカウト」 も、青年たちが身体を鍛えて、どこでも野営・炊事ができる

<兵隊の予備軍>を準備しておくとの意味合いがある。

 

ラジオ体操も90年を迎えた。スタ-トは「逓信省簡易保険局」からである。①体を鍛え兵隊予備軍を作る、②ラジオ体操で死亡率を下げて利益を挙げる、③国民から保険料を取ってその資金で国債を軍備費に充当するなどを考える、といった政策意図の裏側を見れば、異なる認識にも立てる。 (2019.3.28記)

 

風に吹かれて( 2019年3月号 : 塩の話 あれこれ ③ ほか )

 「一陽来復」、日も長くなって、ようよう春めいてきましたが、花粉も盛んに飛んで、しばらくは憂鬱な季節です。

 さて、今月のテ-マは、塩の話の続き(第三話)と「今西錦司」の再読です。前号では捕鯨問題を取り上げましたが、今西錦司は、早くから、「まったく手をつけない自然が絶対という環境主張と、日本のように、<シンビオス>(共棲)、利用するのが自然という考え方の差は乗り越えられない」 と喝破していました。

 

(1) 塩に因んだ地名など

  • ザルツブルグSalz-burg オ-ストリア) 
    映画の「菩提樹」や「サウンドオブミュ-ジック」の舞台となったこの町の地名の由来は<Salz(塩)+Burg(砦)>である。15kmほど南で採掘される岩塩を近くの「ハイライン市」で製塩し、ザルツアッハ川を経由、欧州各地へ輸出する。ここの大司教が通行税を徴取する拠点だ。
  • ソルトレイクシテイSalt-Lake City アメリカ・ユタ州)
    末日聖徒教会(モルモン)が拓いた町で、迫害から逃れてきた指導者のブリガム・ヤングが大塩湖(海水より濃い塩水)南東の砂漠に建設した。
  • サラリ-・マン(和製英語?)
    サラリ-の語源は、古代ロ-マで軍隊の給料が塩で払われていたことによるといわれる。塩は当時の価値基準で、後には金貨に代わるのだが、サハラ駐在の経験者からの情報では、いまから50年ほど前までは、「岩塩が交易の中心だった」という。Salary  ←salarium ← sal(塩)
  • 塩山(山梨県・甲州市)
    「塩山」の由来は、中央線からも望める小山「塩の山」(554m)と聞く。塩は採れそうにない。「展望が四方の山」の方が相応しい。中央線駅名に「しおつ」(四方津)があるが、桂川の狭谷で、四方への川湊(津)とは思えない。日没 (ひ・ぼつ)・ぼつ →し・つ →し・つ →しおつ 、または、日落(ひ・おつ)・おつ →しほう・つ への転化ではないか。

 

(2) 伝統的な製塩法

 岩塩を溶かして煮詰める「溶解採掘法」(世界の6割)、海・湖の塩水を引き込んで天日乾燥、濃縮して結晶を採取する方法、12月号でも紹介した「山塩製塩」(塩分の濃い温泉水などを煮詰め・濃縮)が主たる製塩法だが、この際、伝統的な日本の製塩法 にも触れておきたい。

 縄文の遺跡からは、塩水を煮詰めるのに用いたと思われる土器が発掘されている。また、古代の日本では、塩の付着した海藻を天日などで乾燥し、結晶を採取、焼いた海藻の灰を煮つめてその濃塩水から塩を採取する方法もあった。
玉藻刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ
(柿本人麻呂 万葉集)
・来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩(もしほ)の身もこがれつつ
(藤原定家 新勅撰集)

 

● 今西錦司・再読
母校・北園高校の「創立90周年記念」でも、新潟食料農業大学の新入生にも
<読書のすすめ>として、①生物の世界(今西錦司)、②日本社会の歴史(網野善彦)、③失敗の本質(戸部良一他)、④英語物語(文藝春秋)を挙げた。
このうち今西錦司の著作については、最近の世相から、もう一度読み返してみようと思い立ち、書棚に眠っていた「自然と山と」(筑摩書房 随筆集)、
「今西錦司の世界」(平凡社)の2冊を開いた。これは、前者からの抜粋である。
なお、高校生には、「生物の世界」の紹介で、<ダ-ウインのいわゆる「競争→淘汰」に対して、存在するものにはそれぞれ意味がある「棲み分け」理論が展開されます。このことは、環境と生物の関係のみならず、社会構造にも至っています。1940年の発刊だが、それにも拘わらず、ここでの生態系、食物連鎖、生物多様性などとの関わりは、グロ-バル化が賑やかな現代社会にも通じるものです>と解説している。

 

  • いままでの生態学では、種は生物的自然の構成単位であるというときでも、
    もっぱらばらばらな個体によって代表された種を考えていて、これらの個体の全体によって構成され、個体のすべてをその中に包含した、もう一段次元の高い、種そのものの存在様式を、見逃していた。(P66 わが道)
  • いままで自然一色の世界であったところへ、人間の世界があらたに分化し、成立するようになったけれども、この二つの世界は地域的な棲み分けをとおして、お互いに併存していた。二つの世界の往き来は可能であったけれども、
    どこかで一つの世界がおわり、そこから先へゆけば、もう一方の世界へ入りこむといったようなものであった。もっとも、この世界をへだてる境界はかならずしも線状をなしていないで、むしろ普通には相当な幅をもった推移帯を介して接続していると考えた方がよいのだけれども、例外もないわけではない。(P101 自然と人間)
  • 自然保護ということばの中には、自然などもはやほっておいたら、人間の 力によって、めちゃくちゃになってしまわないともかぎらぬから、この弱い、あわれな自然を、すこしは保護してやりましょうといった、勝利者人間の思い あがった気持ちを、押しつけるところがあって、いままで征服ということばさえ遠慮していた私ごときものにとっては、このことばに対する感情的な 反発が、そうたやすくは消えそうにない。(P107 自然の挽歌)
  • かりに人類を一つのものであるとしても、過去の人類は地球上のいろいろな 地域に、いろいろなちがった型の文化をつくりだした。これを文化の棲み分けと いってもよいが、この棲分けは一次的・並列的な棲み分けであり、その文化の担い手である社会も、同位的な単層社会であるに過ぎなかった。その後ある地域で食物生産量の増加、人口の集中、分業の発達などという一連の変化をもとにして、社会の分化ならびに重層化がすすみ、それを構造化するために国家というものが生まれでてくれば、またその国家の栄光を象徴した文明というものが、生まれてくるようになったのである。 (P210 人間のしていること)

(2019.2.28 記)

 

風風に吹かれて( 2019年2月号 : 日韓の問答・捕鯨とIWC )

 寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。こちらは、受験シ-ズンということもあって、雪の新潟・胎内のキャンパスを往復する日々です。

さて、新幹線の新潟駅では、待合室(=座(za)にいがた)を一新して、椅子やベンチを地元名産の家具に切り替えましたが、やや凝り過ぎで、居心地はよくありません。ただ、特産の「茶豆」を模したベンチだけは 微笑ましい印象です。

 

● 韓国の論法 (問答集) ‐ Don’t move Goals -

(1) 徴用工訴訟の判決

① 1965年6月の日韓条約(日韓基本条約ほか4協定)で、請求権は互いに

放棄したではないか → 個人の請求権は放棄されていない(トボケ)

② そのことについては、交渉の際に、日本側から「個人補償の意思あり」と提案したが、日本からの賠償を通じ韓国政府が自国民に補償を行うと答え、合意したではないか → 司法の判断なので仕方がない(すり替え)

③ 日韓条約は国際法であり、韓国の国内法に優先するのではないか

→ 無言・・・(この原則、異なる国もあるが韓国は「国際法遵守」のはず)

④ 原告は「徴用工」ではなく(自由意志での)「応募工」ではないか

→ 無言・・・ <それはそれとして、問題の本質は「植民地支配にある」

= いわゆる「従軍慰安婦問題」で誤報をした朝日新聞の論法と酷似>

(論点のすり替え&飛躍)

(注) 日本側の主張・疑問 → 韓国側の回答・考え ・・・ (2)も同じ

 

(2) 自衛隊機に対する火器管制用レ-ダ-照射(ロック・オン)

① ロック・オンを確認し、事実と目的を問い合わせた → 北朝鮮漁船の

救助のため「レ-ダ-・カメラ」を向けて捜索中(誤って照射)だった

② 自衛隊機の撮影では、ロック・オン時にはすでに北朝鮮漁船と接触して

おり、照射の必要性はない → ロック・オンはしていない(事実を変更)

呼びかけと称する無線は、雑音がひどく聞き取れなかった(トボケ)

自衛隊機は超低空で韓国船に脅威を与えた、謝罪せよ(すり替え)

③ それでは、互いに記録(事実)を出し合おうではないか → 韓国側の

記録は、軍事情報(機密)だから出せない(居直り)

④ ロック・オン時の韓国海洋警察船の撮影でも、自衛隊機は十分な距離と

高度を保っている、高度150mは、世界共通の安全高度 → 高度150mは民間機に適用され、軍用ではない、それなら韓国もやり返す(勝手な解釈)

(注)海洋警察が救助現場にいるのに、なぜ軍艦が出動し、実は何をしていたのか?

⑤ 最後の決まり手 → 日本側はいかなる被害を受けたか、被害を受けたのなら言ってみろ、日本は無礼だ(居直り・反抗)

⑥ 1/21 防衛省、照射音記録を公表、これにて終了 <すべては事実が語る>

 

なお、韓国「プロパガンダ動画」は、日本発表の画像を加工、喧しいBGMと

テロップや北朝鮮チックな語りを取り込んだ配信である。加工・修正・テロップ・語りによる宣伝は、ナチス、日本陸軍、北朝鮮、中国などに共通の常套手段だった。

 

(注1)米国の国際専門家は、“日本が1000年謝罪し続けても韓国は認めることはない”と語る。

(注2)1月11日の産経新聞コラムは、<歴史と現状から考えて、韓国人は、中国を怒らせる

ような米韓同盟の強化は、得られるものよりも失うものの方が大きいと考え、韓国人の中国への諦めにも似た驚怖心というものは他のいかなる国に対するものとも異なる>と述べていた。

(注3)1/16の報道では、2018年の韓国国防白書から「(日本と)自由民主主義、市場経済の基本的認識を共有している」との記述が削除されたとある。

 

● 捕鯨問題-外伝

IWCからの脱退は、①科学的根拠による捕鯨と環境の両立(持続的な捕鯨)が無視され続けて改善が全く不可能、②加盟国分担金と調査捕鯨のコストが膨大、③公海捕鯨(復活)の必要性がないほど鯨肉需要は減少という背景があろう。

以下は、捕鯨問題に関わった筆者の個人的な経験・エピソ-ドの紹介である。

 

 まずIWCの成り立ち、背景だが、当初は、「鯨油価格の低落防止のための国際カルテル=捕獲制限」だった。国際捕鯨取締条約(1948年)は、その後20年間、

鯨油生産調整機能を担ってきた。鯨を完全利用する日本と「脂皮以外の9割を廃棄する欧米」、利用が全く異なる国々が同居していたことに不幸がある。

 1972年に「国連人間環境会議」が開催され、環境が絶対的優先(全ての鯨が

危機と宣言、IWC科学委員会と対立)の風潮が生じて反捕鯨運動が高まったが、

そこには、植物油が発達して鯨油の需要が低下したこと、そして、環境は金になる、選挙の票にもなるとの背景があった。(グリン・ピ-ス集票力800万票?)

 

① このころから日本の大手漁業会社は、縮小・撤退を判断し、捕鯨船団などの現物出資で(株)共同捕鯨を設立した。(公取委は一社独占を危惧し、当時の公取委に在籍していた筆者は、<セリによる公正な取引導入>で対応した。

② 1982年に<商業捕鯨のモラトリアム>が採択されたが、日本、アイスランド、ノルウエ-などは異議申立てを行い、商業捕鯨の継続を主張・実施した。

(注)モラトリアムでも米国は、アラスカ地域での捕鯨を「先住民のための“生存捕鯨”と

称し、資源量に関わりなく強引に認めさせる<ダブル・スタンダ-ド>で今日に至っている。

 

③ 1987年、アメリカの圧力(公海や米国EEZ内でのスケトウダラの漁業制限)により、日本は(水産業界と相談の上)異議申立てを撤回、モラトリアムに従うこととした。スケトウと鯨の経済バランスを比較考量したのだろうが、

当時、ワシントンで垣間見た水産庁幹部の悲壮な表情は印象的であった。

いまとなってみれば、「資源がよかろうが、悪かろうが関係ない。いかなる商業捕鯨にも反対」というのが「反捕鯨国」の立場だから、当時の<一次的モラトリアムだから、10年後には再開もありうる>との判断は甘かったといえる。

 

④ ここから、捕鯨にとってイバラの道が始まる。また、ことは、IWC条約の対象である大型鯨類にとどまらず、EEZ内の小型鯨類(イルカ)漁業にも影響が必至と考えられた。1991年当時、沿岸課長であった筆者は、北海道、岩手、千葉、和歌山などの道県と沿岸の小型捕鯨関係者に相談し、資源管理の観点に立ち、「イルカの捕獲頭数制限」を決めた。グリ-ン・ピ-ス・ジャパンからは、<画期的なことだ>として感謝状が贈られたが、皮肉にも、感謝状を贈った日本代表は、組織から姿を消した。本部からの指示だったとしか思えない。

 

(注1) 北海道、三陸はイシイルカ、千葉や静岡、和歌山はツチ、スジ、ゴンドウなど小型

鯨類を、突きん棒、追い込み網、定置網などの異なる漁法で漁獲している。和歌山の追込み網漁法が、陸上からも観察できて、湾内が血に染まるのが見えるので、グリ-ン・ピ-スやシ-・シェパ-ドの絶好の標的になっていること(残忍さを訴えられる)は周知のとおりである。漁業者には、<世界の風潮を肌で感じる>ためにもと、レイキャビクでのIWC総会へオブザ-バ-参加を求めた。なお、しばしば、クジラは「日本の」食文化といわれるのだが、これは間違い、「地域の多様な食文化」といい直すべきで、それでこそ将来がある。

 

(注2)同時に、(捕獲枠外の)座礁したイルカの救出・処理のため、オ-ストラリアでの事例も参考に、「セイブ・ザ・マリン・マンマール」予算を措置、沿岸イルカ漁業の継続を図った。

 

(注3)なお、人魚のモデルともいわれるスナメリ、食用には適さないイッカクやシャチは、全面漁獲禁止にした。かつて課長の指導・通達はそのくらいの権威と力があったのだ。

 

⑤ 2001年に、アメリカのノ-マン・ミネタ運輸長官(前商務長官)が来日し、前職での懸案として、「(とくに北西太平洋での)鯨は絶滅の危機にあるから、捕鯨は禁止すべきだ」と武部農林水産大臣に申入れを行った。日本側は、「資源は十分あるし増えてもいる」と反論した。すると、ミネタ長官は、「いったい、誰がそんなことを言っている!」と、たちまち不機嫌になる。

 アメリカ側の通訳に<いい加減な伝達>をされてはいけないと思い、陪席した筆者(水産庁長官)は、僭越ながら、“You say , Your Government says , Your Home-Page says”と切り返し、気まずい雰囲気になった。そして、翌日、商務省のホ-ム・ペ-ジからは、<北西太平洋のマッコウ・クジラの資源量200万頭>がきれいに消えていた。政治・外交は、きれいごとでは済まない。

 

(注)このころ、外務省では、対米関係の悪化におびえ、「北西太平洋での調査捕鯨をなんとか取り止めにできないか」と主張・行動する高級幹部と水産庁の根拠ある主張を理解する事務方との間には、上司の行動を“平成元禄田舎芝居”と称するほど大きな格差もあった

 

⑥ 北西太平洋での調査捕鯨についてもう一つ。この地域の調査捕鯨の結果では、増え続けるクジラが大量の魚類を食べ、食物連鎖の頂点に立つ人間の生活を

脅かすほどになっていることが分かった。保護・規制・管理・利用は、適切な

バランスで行われなければ、却って生態系を破壊し、持続的発展は望めない。

 

⑦ 鯨類資源の持続的利用と環境保護の両立はもはや困難、これは、反捕鯨国の「捕鯨は時代遅れの習慣で、南氷洋、北西太平洋など公海での漁獲停止は前進」というNZの発言などを見れば分かる。少なくとも現在のIWC体制の下では

無理であり、国連海洋法条約とワシントン条約(での科学的根拠)の対応措置、

2者への分化・特化をすべきでなないか。日本という「闘争目標がなくなった反捕鯨国」にとって、IWCの場が魅力的でなくなる日も遠くはあるまい。

 

(注)なお、国際的な資源管理に向けた日本の立場を維持するためには、加盟国からは脱退しても、IWCの科学委員会などへは「オブザ-バ-参加する」のが妥当で、また、日本のEEZ内では、捕獲頭数制限などの鯨類資源管理を徹底するのが上策であろう。(2019.1.25記)

 

風風に吹かれて (2019年1月号 : 塩の道ふたたび)

 

 皆様、本誌を1年間ご愛読いただきありがとうございました。新しい年が

穏やかでよいものになるよう祈っております。引き続きよろしくお願いします。

 

● 第三の「塩の道」

平成24年6月号で、「塩の道:千國街道」を取り上げ、日本海側の糸魚川から信州の松本・塩尻に至る北塩 (裏塩) に触れた。またその後、太平洋側の三河・駿河湾から足助・秋葉街道を経て信州の飯田・塩尻に至る南塩(表塩)の道に

ついても解説したことがある。その際、この道では、塩ばかりでなく塩漬けの水産物も運ばれ、経由地・到着地では、塩抜きされたイカなどが名物の「塩イカ料理」に、また、あら塩に残る「ニガリ成分」が信州大豆の豆腐→凍豆腐を育てた、そして、この食文化は、北の大町・南の飯田に共通することも書いた。

 

 そこで、つぎは、越後から信濃に至る「第三の塩の道」である。10月2日付の新潟日報では、上越の沿岸部(直江津)から信州方面に塩や海産物などを運んだ「塩の道」の経由地として多くの人が行き来した上越市牧地区に「口留(くちどめ)番所」が復元されたと報じている。この解説では、<牧峠から信州飯山>とだけ触れられているが、その後の「信濃毎日」記事と照らし合わせると、ル-トは、直江津~高田~牧村~飯山~善光寺~上田(塩尻)だったのはないか。なお、

信毎は、上田のほか、栄村にも「塩尻」地名が、いまも残っていると解説する。

 

 日本海から信濃へ「東の塩の道」があるなら、太平洋から信濃へも「東の塩の

道」が存在するのではないかと思っていたところ、<千葉の塩が中山道を通って追分経由、小諸、上田(塩尻)へ>とのル-ト解説もあるようだが、「中山道=塩の道」では味がない。(むしろ、行徳~小名木川~江戸=塩の道の方が楽しい)

 

● 「塩尻」とアイヌ語の「シリ」

いまも地名に残る 「塩尻」 の語源について信毎は、<塩の道の終点(尻)>というのが一般的であるとしつつ、これ以外にも、「ここで品切れ説」、「南北の塩の合流説」、「岸壁に挟まれた絞り地(シボリ・ジ→シオ・ジリ)からの変化説」(注2)、「山型の塚=尻説」「アイヌ語で地=シリ説」などと多くの説を紹介している。

 

アイヌ語説については、深田久弥「日本百名山」の「羊蹄山」が参考になる。この羊蹄山のアイヌ語名“シリベシ”は、北側を流れる「尻別川」からの連想、となると、シリ=山の、ベツ=川だから、信毎のいう<単なる「地」>ではなくて、小高く盛り上がっていることが大事なのではないだろうか。

なお、「羊蹄山」と呼ぶことについて、深田は、「シリベ」は<どん尻>、

「シ」は<シダ>の和名だから、<後方・羊蹄山>としなければ不正確である

ともいっている。それにしても、北海道には「尻」のつく地名の多いことよ。

(注1)東西4ル-トの「終着地が塩尻で共通」だとすれば、やはり「ドン尻説」が有力だ。

(注2)日本語の変化 「シボリ・ジ」→「シボ・ジリ」→「シホ・ジリ」→「シオ・ジリ」

 

● 鹿塩温泉の「山塩」

NHKの朝ドラ「まんぷく」で、インスタント・ラ-メンの創始者「安藤百福」と

その女房が取り上げられ、高視聴率を得ている。安藤さんの起業は、終戦後の「塩づくり」から始まったという設定だ。塩は人間の命に不可欠のものであり、上杉謙信がライバル武田信玄に汐止めの際に塩を送ったとの逸話(伝説?)も、

謙信公の「義の戦さ」を美化すべく創造された「命の塩」から出ていると思う。

 

それでは、信州・甲州で塩は本当にとれなかったのだろうか。実は、長野県には、いまだに、山の中で塩を製造しているところがある。飯田線の伊那大島からバスで50分ほどかかる 「鹿塩温泉」 がそこである。弘法大師による塩井の発見説や南朝の拠点説(後醍醐天皇の皇子:宗良親王は塩があるが故に拠点としたとの説)はさることながら、1875年に、元徳島藩の黒部鉄次郎がこの地で大がかりな製塩製造を行っている。一時中断をしたが、復活して現在に至る。濃い塩分の「温泉水」(海水の塩分濃度は30%、温泉水25%)を煮詰めて塩を取り出すのだが、その元になる岩塩は未だ発見されておらず、塩水の湧出する理由は不明という(ウイキペデイア)なお、この塩は、「ニガリ成分」=マグネシウムが少ないために<まろやか>だといわれている。(価格は50gで税込み530円)

 

 余談になるが、ここ「鹿塩温泉」は南アルプス 「塩見岳 」への登山口で、

50年も前の夏、高校のクラスメ-トにして登山仲間の安井好男さんと二人、

日本第二の高峰「北岳」への縦走を試みた出発の地でもある。塩見岳(3047m)から仙塩尾根を経て、間ノ岳(3189m)、北岳(3192m)に連なる快適な3000mのピ-ク・ハンテイング、4泊5日の旅であった。

 

● 食育

「食育」という言葉は、明治時代の作家で「食」の研究家「村井弦斎」が

明治36年の小説「食道楽」で初めて用いた。本文に入る前に、“小児には、徳育よりも、知育よりも、体育よりも、食育が先”というのである。あれから110年を経て、「食育基本法」が成立するまで、長い長い空白があった。

 

● <ナリ・チュウ原稿>

終わりに、ある講演会でマス・メデイアの幹部から聞いた話を紹介しよう。

詳細不明の事件で、「誰か、ナリ・チュウ原稿を書いてくれ!」と使われるらしい。

 

 事件が起きて、専門記者・専門家がいないときに、新聞・テレビの第一報で

用いられる言い回し・常套句だそうだ。いわく、「いずれにせよ今後の成り(ナリ)行きが注(チュウ)目される」といった具合で、他にも「事態は思わぬ展開となり」「今後予断を許さない」「関心はいやが上にも高まっている」などが同類である。

こうした中身はなく、何でも使えるもっともらしい常套句には要注意だ。

 たとえば、この手法を使ってテレビ中継をすると、つぎのようになるだろう。

「事態は思わざる展開を見せており、予断を許さない状況にあります。また、関心はいやが上にも高まっており、今後の成り行きが注目されます。以上、現場から○○がお伝えしました」 フム、フム、これはよく見かけるパタ-ンだ。 (H30.12.28 記)

 

風風に吹かれて (H30年12月号 : 書き残したこと、伝えたかったこと)

 

12月の声を聞いて、あづみ野はグッと寒くなりました。朝晩は氷点下になる日も多く、近隣では、冬タイヤへの交換や農家の庭先での大根干し、野沢菜の漬け込み作業も

始まっています。常念の山々は、ときには雪しぐれ、これから長い冬ごもりです。

 

さて、「風に吹かれて」(12月号)をお届けします。先月号に続く「落穂ひろい」の

第2弾で、個人的なメモからの紹介や最近の社会事象への感想を書きました。

 

● 三種の相続法  「コメの民族誌」(中公新書)

シェルパ族は、末の子と住む「末子相続」、父親からの相続は「均分相続」 だが

末子と同居していた母親が死ぬとその持分はすべて末子に行く仕組になっている。

 

 なお、宮本常一の「イザベラ・バ-ドの日本奥地紀行を読む」には、<相続には、

①  長子相続、② 末子相続(モンゴルなど)、それに、③ 優子相続の3種があり、

日本でも、平安時代には、③の優子相続があったらしい>とも説明されている。

 

 翻って、伝統的な食品企業の継承は、大企業であってもあの「キッコ-マン」のように、「優子相続」的に見える。一族8家のなかから優秀な人材を選抜し、育成して経営の

トップに据える。それ以外の親族は、子会社・関連会社に放出、内紛の種が残らない

ようにする。「茂木」の名前以外の社長でも、その出自はどうやら、創業8家かららしい。さて、関西などに見られる「娘に優秀な婿を取る」は、どれに当たるのだろうか?

 

 なお、歴史学者の本郷和人は、「上皇の日本史」(中公新書クラレ)で、「エマニエル・

トッド」の分類=<人間の家族形態を「単婚小家族」、「直系家族」と「大家族」に分ける学説>を紹介している。単婚小家族では、<子どもが早くから独立し、結婚、自分の家族を作る、兄弟や姉妹はみな同等>、直系家族では、<親は、長男または末子と暮らし、彼らに全財産を譲る>、これに対し、大家族では<親子全員一緒に暮らす>(チベットや雲南地域?)(江戸時代の武家の部屋住み?)というのである。

 

● 日韓併合と韓国の警察制度

 日韓併合前の「乱れに乱れていた大韓帝国の警察制度」は、併合後は刷新改善が

図られた。明治43年(2010年)~ 昭和8年(1933年)のデ-タが示されているが、

警察署は 107→251ケ所に、駐在所は269→2334ケ所に、そして、警官数は 5694→1万9228人と急増し、しかも、警察官は、全体の4割を朝鮮人が占めたとされている。

これに続けて、産経は、「彼ら(同胞の警察官)の目を盗んで、同胞の少女を慰安婦として無理やり連れ去ることなど、まずできなかっただろう」という理論展開をしているが一理あるのではないだろうか。(‘18.6.23)

 

韓国の大法院で確定した「戦時徴用工賠償訴訟」も同根だろう。事実(注) を客観視

しない、国際約束は守らない、三権が分立していない、つまり、法治はなくてあるのは「恨」のみ、「司法」はポピュリズムの権化・「行政の代理人」だ。「慰安婦談話」の

河野洋平の息子だからと、韓国は河野太郎外相を甘く見ていないか。(10/30)

(注) 原告4人は、<徴用工ではなく、昭和19年9月以前の「自由応募工」だ>と報じられている。

 

●  ジャーナリスト・カショギ と武器商人・カショギ

 サウジのカショギ暗殺事件は、劇画「ゴルゴ13」を彷彿とさせるような展開だった。痕跡を残さない殺人方法と遺体処理、こんなことが実際に起こるとは驚きである。まだまだ不明の点は多く、トランプのアメリカでは、ウヤムヤ・迷宮入りの可能性もありうる。

 

① 暗殺されたジャマル・カショギ (ジャ-ナリスト)は、誰にでも武器を売る、戦争を商売のネタにして大富豪となった「死の商人」 アドナン・カショギの甥 だった。

② 暗殺の詳細が外に伝えられ公開できたのは、カショギが<ウエアラブル端末>を着装していて、これが婚約者に発信され、トルコ政府に渡されたらしい。

なぜサウジ側は気がつかなかったのか。とぼけた話ではないか。かくして、トルコ政府は、情報を小出しにしつつサウジとアメリカを翻弄している。むかし懐かしい

公館内部に仕掛けられた「盗聴装置」での情報入手ではなかったようだ。

③ その一方、海外公館の周囲はきめ細かな「防犯(監視)カメラ網?」で監視されていて、記録された画像は、いつでも外交政策上の武器にできる。中国の監視網は、トルコ、サウジ以上だろう。

④ 結婚に関するイスラムの厳しい戒律が危険を冒してまでの正式手続に向かわせたと推測する人もいるが、本当にそうだったのか。「単なる油断?」 ではないのか。

⑤ このほかにも、カショギは王族の秘密情報を担当していたファイサル王子と親密であった、王族の一員を始め、内部紛争などから亡命をした者が’17年は1,200人を超したともいわれている、同じように独裁国家のトルコとサウジとの軋轢が高まっていて、カショギはその犠牲になったとの噂もある。

 

● おまけを一つ 丸山秀子

信州の名家「井出・小山一族」の一員に丸山秀子(1903~1990)がいる。協同組合運動などを通じて、女性の地位向上に貢献した丸山が残した言葉を紹介したい。

「読むことは知識を得ること、書くことは”自分を高めること“」である。ナルホドと思う。

                                         (H30.11.29記)

 

 

風に吹かれて( H30年11月号 : 落穂ひろい ① 麗人行など)

 

 北園高校の同期生「足立一夫さん」の仲立ちで、椎名町小学校5年生の社会学習に出前授業をしました。ここは食・農の教育に熱心で、提携している山形・遊佐の農家が協力し、毎年、校内にあるミニ水田で田植えと稲刈りを学習しているので、「田んぼと米づくりの1年」を総括的に話し、併せて、「食育」に

ついても触れました。授業名は「食べもので体をつくり、食べ方で心をつくる」です。全国、とくに都会で、このような機会が増えることを期待しています。

さて、11月号は、この1年間メモしてきた「こぼれ話」を拾い集めました。

 

● 九段小学校 改築・新装なる

 耐震対策として改築中だった「九段小学校・幼稚園」が、2学期から新校舎になった。明治36年の開校以来110年超の歴史を持つが、改築前の校舎は、関東大震災被害からの復興事業で、大正末~昭和初めにかけて、鉄筋コンクリ-ト造りで建てられた「震災復興小学校」(注) の一つである。そのモダンな装いをどう活かすか気になっていたが、出来上がってみると、西側の2/3は、耐震の

補強をして従来のデザイン、東側1/3は、それと調和した出来ばえで違和感はない。庭に戦前の「二宮金次郎像」が、校長室には東郷平八郎元帥の海軍での遺品、遺墨が置かれ、かつてと変わらない。元帥宅から移植された楠も無事なようだ。「奮励努力」は、日本海海戦「各員奮励一層努力せよ」を彷彿とさせる。

 

 小さな女の子が二宮金次郎を見て、「この人だれだ?」と質問していたのが

楽しかったが、いずれにしても、妙に奇をてらった最近の建築でなく、歴史の面影を残す建物で安心できるし、広域避難所としての準備もある。(9/22見学)

(注) 旧校舎は、大正15年(1926年)に建設された。なお、震災復興小学校のうち、建物が現存し小学校または 公共利用がされているものとしては、他にも12程度あり、主力は、1928~30年(昭和3~5年)、アーチ型の窓や門などフランス、ドイツ風のデザインが特徴である。

 

● 「透谷」 と数寄屋橋

小学校の話ついでに、同じく震災復興小学校の「銀座泰明小学校」に因んで、文人「北村透谷」である。透谷は、数寄屋橋近くの出で、泰明小の出身である。校門のそばには、「島崎藤村 北村透谷 幼き日ここに学ぶ」という石碑もある。ペンネ-ムは、<数寄屋橋→スキヤ→透き谷(や)→「透谷」>が由来だそうだ。

余談になるが、洋菓子の「銀座ウエスト」は、1947年に西銀座のレストランでスタ-トしたため、当初は「GRILL WEST GINZA」、その後、洋菓子の「WEST GINZA」

→現在の「銀座ウエスト」になったといわれている。

 

● 麗人の定義 杜甫

中央本線の上諏訪を降りて甲州街道を行くと、わずか500mほどの間に、舞姫、麗人、本金、横笛、真澄と5軒もの酒蔵が連なっている。日本酒祭りの日には、確か2000円ほどで共通試飲券(=枡)を購入すれば、いずれの酒蔵でも好きなだけ堪能することができるようだ。特急あずさには「真澄」が積まれていて、

だれでも手軽に飲める有名な日本酒だが、創業200年超の歴史「麗人」の方も

なかなかのものだ。進取の精神があり、最近は焼酎や地ビ-ルも手掛けている。

 

さて、本論の「麗人の定義」に入る。唐の玄宗皇帝時代=楊貴妃のころに、詩人の杜甫が「麗人行」と題する漢詩を書いており、一部分を抜粋してみる。

“長安水辺多麗人 態濃意遠淑且真 肌理細弐骨肉均 繍羅衣裳照莫春”

<長安の水辺に麗人多し 態濃やか(こまやか)にして意は遠く、淑かつ真、 肌理は細(さい)にして骨肉均しく 繍羅の衣裳は暮春を照らす>、態度も

心根もよく、内容のある真の淑女、肌きめ細かく、太りすぎでも痩せすぎでもない。刺繍を施した衣装、本来派手だが、黄昏の中、控えめに映えているか。

 

 1500年もの昔から、(単なる美人ではない)麗人の定義は変わっていない。

もっとも、この詩は、一世を風靡した楊貴妃一族に対する皮肉という説もある。

 

● 悪霊退散・お不動さんの真言

かつて、浅草の芸者さんたちに、ベ-ト-ベンの「歓喜の歌」をドイツ語で覚えてもらうため、たとえば「フロイデ」を「風呂・出」のように、日本語の音で近い言葉を当てはめたという話を取り上げたことがある。

「ノ-マク・サンマンダ-」で始まるご真言(マントラ)を覚えるのに、こんな

日本語の音を拾って、忘れるのを防いでいるが、いささか不謹慎だろうか?

 “脳膜・散漫だあ、婆沙羅(バサラ)だ 千田(せんだ)・摩訶・露西亜な、

  座ったや、糞(うん)垂れたあ、緩慢ん・・・”

 

話のついでに、日経交遊抄(9/22)から、韓国語のモノと音感のダジャレを。「サンドイッチは?」→ 「パンニ・ハム・ハ・サミダ」 と、感心はできないが…。

 

● 「東京だよ、おっかさん」

ご存知「島倉千代子さん」の大ヒット曲である。ところが、35回も出場しているNHK紅白歌合戦で、お千代さん、この歌は一度も歌ったことがないという。

「二重橋」の一番に続く二番の歌詞が、戦死した息子(優しかった兄)が

祀られている靖国神社に行くというもので、歌詞のミソは、「桜の下でさぞかし待つだろおっかさん、あれが九段坂、逢ったら泣くでしょ兄さんも」にあるようだ。

 なお、新潟日報のコラムは、<紅白で歌わなかったのは、二番の歌詞が影響していたからという話もあるが、本当かどうかは分からない>と言葉を濁す。

 

● エアコンの県別普及率順位

本当に暑い夏であったが、2014年の総務省調査によると、エアコンの普及率

ランクは、低い方から北海道、岩手、青森と順当なのだが、なんと、長野県が下から第4位の61%、4割の家庭にはエアコンが無いそうである。

 信毎は、「夏蚕には風通し第一、何事もお蚕様のお国柄」と分析する。(7/18)

 

● 映画 「旅情」から

NKKのBS③の映画で、久しぶりにキャサリ-ン・ヘプバ-ンの「旅情」を見た。

宿の女主人が語る名文句「女にとって、年齢(とし)は財産よ」をどういうか、どうやら“In Italy, the age is an asset”)のようだった。  (H30.10.26記)

 

風に吹かれて( H30年10月号 : サマータイムは嫌いだよ)

 

英国のエリザベス女王ではないけれど、“アナス・ホリビリス”(annus horribilis = 最悪)だったこの夏の異常気象、猛暑、台風、地震が連発し、まだまだ被害からの復興はほど遠い状況にあります。しかし、非情な季節も

やっと穏やかになり、周囲には秋の気配が漂い始めました。新潟の新大学では、9月29日に田んぼの稲刈り、そして、10月4日には、豊島区の椎名町小学校で、「田んぼと米作りの1年」というテ-マで出前授業をする予定でいます。

 

さて、10月号は、<リスク・危機への評価・管理・コミュニケ-ション>を取り上げ、社会評論めいた文集になりましたがご容赦ください。(H30.9.27記)

 

● やはり “ひばり” は天才だ

9月上旬のNHKラジオ深夜便、美空ひばりの歌声が流れて目が覚める。広島平和音楽祭(1974年)で歌われて、その後多くの歌手がカバ-した曲、「一本の鉛筆」で、「ああ、やはり美空ひばりは天才だ」とつくづく感じ入る。横浜での空襲経験とも相まって、この歌は万人を感動させる。松山善三の歌詞もよい。

 

“一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く 一本の鉛筆があれば

 戦争はいやだと私は書く 一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く

一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く”

 

● オレ、サマータイムは嫌いだ

英語では、「サマ-タイム」のことを、確か、“Day light saving time”という。

緯度が高く夏冬で日照時間に大きな差がある地域において、夏の日長を有効に

活用し(光源としての)ロ-ソクや油の消費量を減らすのが目的だった。だが、いまや電気・石油でエネルギ-は明るさに関係なく大消費の時代なので、その意義は薄く、却って、経済システムの変換や健康への悪影響の方が心配される。

 

 終戦後、いわゆる「サンマ-・タイム」のころの嫌な経験もあるだろうに、2020東京オリンピックの暑さ対策で「サマ-タイム」を提唱したらしい森・元総理、形勢は不利だ。地理的に広範なEUでは、廃止の方向で、米国のカリフォルニアでも、廃止の州民投票が通った。時代にそぐわないのだ。

 

話は変わって、いまから15年ほど前、電力の需給が厳しくなったことがある。その打開策として「サマ-タイム」が取り上げられた。事務次官会議で、経産次官がわざわざ発言を求め、各省庁にも節電を呼び掛けていたからよく覚えている。そのころのこと、資源エネルギ-庁の幹部が総理官邸を訪れ、K総理に、サマ-タイムの重要性・導入方向について、30分ぐらいであろうか、ご進講をした。最後に、総理は、「オレ、サマ-タイム嫌いだよ」とニベもない返事だ。資源不足でやむを得ず導入した戦後のつらい経験が身に染みていたに違いない。

 

● 韓国経済の低迷は統計のせいか?

韓国の国家統計局長が更迭され、その会見で、「経済成長の数字でよいものを出せなかったからだと思う。後任者は、上手にやるだろう」と述べたそうだ。

かつての中国でも、2014年の経済成長が7.4%にとどまって、7.5%には達し

なかったとき、国家統計局長が「来年は必ず7%以上にする(数字をつくる?)」と述べたことがあるが、これといい勝負だろう。

 

こうした国では、国民は政府の発表を信頼せず、異なる数字と目標で行動し、地方政府は数字をねつ造する。「国に政策あれば、地方に対策あり」なのだ。

 

● 福島原発の「処理水」には丁寧な説明が必要

この世の中に「リスク・ゼロ」はないのだから、①あらかじめのリスク評価(アセスメント)、②生じるリスクの管理(マネ-ジメント)、③リスクに関する

コミュニケ-ションの三者について、異なる組織間で牽制し合い、また、ときには共同して当たってリスクを最小化する、これを「リスクアナリシス」という。

食品の世界では、①は食品安全委、②は農水省、厚労省、③は三者が行う。

 

原発では、原子力安全委員会と経産省、環境省(規制庁)の関係がこれだ。福島原発「処理水」の海中放流提案では、③の「リスクコミュニケ-ション」が圧倒的に不足しているといわざるを得ない。時間、数値、姿勢、今後の対応策、わかり易さの説明に手間を惜しんではならない。<トリチウム>は、この「処理水」に限らず、一般的には、原発の放流水では取り除けないが悪さもしない、国際的にも問題がないことを焦らずに、根気よく説明する、ほかの汚染物質の濃度とその経過を公開の数値で、リアルタイムに知らせる努力が不可欠である。

 

水俣病における仕切り網の撤去、BSE牛肉の流通再開、そのいずれの場合も、

具体的な数字によるデ-タ公開、わかり易く十分な時間をかけた説明、そして、安全宣言・対応策というプロセスを経て、水産物、牛肉の需要の回復がある。

 

● 関空連絡橋へのタンカ-衝突は人災だ

9月中旬、超大型ハリケ-ン「フロ-レンス」に見舞われたアメリカ東海岸、

海軍の艦船は、一斉に港を離れて沖合に進出し、「沖停泊」の態勢に入った。

暴風、高波などの悪天において、船舶は、自らの船および港湾施設に被害を

及ぼさないよう離れた沖に出るのが国際常識である。湾内においても、構築物から少なくとも3マイル=5.5kmは離れなければならない。海上保安庁からも「近づき過ぎている、もっと離れろ」「船が流され始めている、離れろ」と相当前から警告を受けていたにもかかわらず無視をしていたという。<超大型台風直撃→強風&風向の頻繁な変化→走錨の危険>を想像できないとは不思議だ。海保も事情聴取を始めたようだ。マスコミも事実の多角的な報道が求められる。

 

なお、高潮被害の方は、関空側の怠慢である。空港の用地が1年に10cmは沈下するのが建築上の前提だった。防波堤の嵩上げ・定期的な工事をサボッていたことは大きな責任で、危機への「想像力の欠如」が大きな課題であろう。

 

風に吹かれて( H30年9月号 : 最近の読書から)

 8月14日は「安曇野花火大会」、小雨まじりのためスクリ-ン幅は狭くなるのですが、自宅2階から家内と2人、夜空を飾る2万発をゆっくり鑑賞しました。そして、8月17日、安曇野には一夜にして秋が来ました。朝夕の気温も20℃を切ります。小中学校では早めの新学期が始まり、猛暑とも完全にオサラバです。

 

 報じられるトンダ林警察署の容疑者脱走は、まさにマヌケ四重奏で、一方、周防大島2歳児の生命力、老人ボランテイアの経験から来る捜査力にはホッとしました。(亡くなったものと決めつけたか?)警察、消防、しっかりしろ!

 

 さて、今月号は、9月の声を聞いて「読書の秋」、このところ、読んで印象を深くした本についてのエッセンス・感想などを記します。  (H30.8.28記)

 

● 2つの不正・不祥事について

新潟日報のコラム(8/8)に石黒忠悳(新潟出身 陸軍軍医総監→日本赤十字社長)が取り上げられていた。

日本初の女医「荻野吟子」の医師免許取得に関し、「女は困る」と拒む政府の衛生局長に対して、「女が医師になってはいけないという条文があるか」「女が

いけないというなら『女は医師になるべからず』と書き入れておくべきだ」と掛け合い、談判したというのだ。この石黒さんは、調べてみると、終戦の時に農商務大臣を務められて、<石黒農政>なる尊敬の足跡を残した農政の大先輩「石黒忠篤」の父親で、<気骨の人>は、誇るべき一族の気風だったのである。

 

話は変わるが、「東京医科大の不正入試」の第一報を受けた林文部科学大臣のコメントは、事務方が用意した答弁であろうが、「一般的に、女子を不当に差別する入試が行われることは断じて認められない」と、腰が引けて、いただけない。

『一般的に』と『不当に』、『断じて』の同居はあり得ないと思うがどうか。

 

 (一社)日本ボクシング連盟の不祥事は、助成金の不正配分にとどまらない根の深いものだった。なお噴飯ものだったのは、連盟側の弁明=「山根会長の親心から」で、これには、大いなる違和感を感じる。成松選手から160万円を奪っておいて(80万円 x 2人)、つまり、他人のフンドシで相撲を取ったわけだが、仮に「親心サ-ビス」というなら、成松選手には全額を渡し、他の2人には、「会長のポケットマネ-から出す」のが正しいあり方ではなかろうか。

 

● 福島原発の 「全電源喪失?」

1980年から続いているエネルギ-関係の季刊誌に「ENERGY  for the FUTURE」(ナショナルピ-ア-ル社)がある。7月9日号で、前原子力安全推進協会の

理事長をしていた松浦祥次郎さんが、インタビュ-に答える福島原発の記事を

見たが、知られておらず、考えさせる内容でもあったので、抜粋・引用したい。なお、ご本人も「友人から聞いたこと」と語っているので、念を押しておく。

 

◆ 原子力と再エネの比較

 福島事故の時に海上自衛隊の友人から聞いたのですが、海自に艦船に乗せて運べる非常用発電機がいろいろとあるそうです。ですから、指令があれば、

すぐに福島の近くの港に行って、非常用発電機を陸に揚げ、電気を供給できると

いう準備をしていたそうです。しかし、一向にその指示がなく、「何なんだ」と思ったそうです。要するに、自衛隊は災害対応能力がある国家組織として、

国は準備に入れておいてもいいのだと思います。軍事ヘリコプタ-であれば、何十トンというものを運べます。小型発電機くらいであれば簡単に持ってくることができます。平時から縦横無尽にできるような仕組を準備しておくことが可能かどうか、そういうことだと思います。

日本でそれができる専門集団が自衛隊だと思います。自衛隊も国土防衛、

民間防衛の一環として、原子力施設が火急の時に駆けつける仕組みを作って

おいたら良いと思います。(以下略)

 

 さて、これらが事実だとすると、当時の菅直人総理大臣の罪は重いし、その情報をきちんと、かつ、粘り強く進言しなかった関係省庁、官邸スタッフにも大きな責任があるといわなければならない。

ネットワ-クと経験の蓄積・整理・知恵などを有効に活用すべきところが、

「人・組織のあらゆる面で最悪の環境」で起きたのがこの事故だったと考える。

 

● 「歴史と戦争」 (幻冬舎新書) から

半藤一利さんのこれまでの著作のエッセンスともいうべき珠玉の文章である。2018年3月の初版から5月ですでに6刷、8万部を超えたといわれている。

そのうち、個人的に印象に残った部分の要点は、つぎのとおりである。

 

① 日露戦争時にロシアにとらわれていた日本兵が、旅順開城後に日本側に引き

渡されたが、東郷司令長官は、<勇ましくあだの港を塞ぎぬる 君のいさをは

   千代もつきせじ>と讃えて詠んだ。そこには捕虜の汚名はなく、『戦陣訓』の

「生きて虜囚の辱めを受けず」がいかに非情なものであったかよく分かる。

② 昭和5年当時は民政、政友の2大政党だったが、日本人には、二大政党制は

合っていないのではないかと考えている。相手の政権を倒すために、必ず、

何かしらの勢力(軍部、右翼)と結びつき、しばしば、大衆人気に迎合する。

③ 朝日新聞が描く自社の70年史で、「昭和6年の柳条湖の爆発で準戦時体制に入るとともに新聞社は全て沈黙を余儀なくされた」との記述は間違いであって、商売のため軍部と一緒になって走ったのが事実である。

ジャーナリズムとは、基本的にそういうものなのだ。

④ 昭和16年に陸軍を追い出された石原莞爾は、開戦直後、立命館大学で、次のように予言した。「この戦争は負けますなあ。財布に1000円しかないのに、

1万円の買い物をしようとする。アメリカは、100万円持っていて、1万円の買い物をしている。そんなアメリカと日本が戦って、勝てるわけがない」

⑤ 特攻の総指揮を執った関大尉が、出発前にこういったそうである。「日本も

おしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて・・・しかし、命令

とあれば仕方がない」

⑥ リンゴの唄を歌った並木路子は、東京空襲で自からは九死に一生を得たが、

一緒に隅田川に飛び込んだ母親は遺体となって浮かんだ。父親も南方で殉職、

次兄は千島列島で戦死。たたみかける戦争の傷みを抑えて、彼女は、懸命に明るい声で歌う。これは、徹頭徹尾悲しい歌であると思えてくる。

⑦ 太平洋戦争において陸海軍将兵(軍属を含む)は240万人が戦死した。うち、広義の飢餓による死者は70%に及ぶ。食糧・薬品・弾薬などを補給したく

とも、とても叶わぬお粗末さだった。(大本営の秀才的参謀の机上計算だ)

 

● 良寛・野の花の歌 (新潟・考古堂刊)

“三大歌人の一人である良寛は、移り変わる季節の自然を愛し、清楚で可憐な

野の花を題材とした歌をたくさん詠んでいます“と、新潟の書店は説明する。 また、もう一つの特徴は、花の水彩画が添えられて、歌と絵がコラボしていることである。気に入った花の歌とその花の由来や理解の仕方に関するちょっと変わった解説(要旨)を書き出してみた。

 

① 飯乞ふと わが来しかども 春の野に すみれ摘みつつ 時を経にけり

(すみれは春に咲く小さな野の花の総称、イチリンソウ、キクザキイチゲ、

ニリンソウなども含まれていた)

② 鉢の子に すみれ・たむぽぽ こき混ぜて 三世の仏に たてまつりてな

(鉢の子は、托鉢で喜捨を受けるときに用いる小鉢、タンポポは鼓草とも

呼ばれ、鼓の音からの連想といわれる)

③ かく恋ひむと かねて知りせば 忘れ草 道に宿にも 植ゑましものを

(忘れ草は野カンゾウ<キスゲ?>のこと、オレンジの花は次々と咲くが、

一日のうちに散ってしまう。<忘れな草ではない>。根は生薬にもなる)

④ 妙なるや 御法の言に 及ばねば もて来て説かむ 山のくちなし

(クチナシは、実が熟しても裂開しないので「口無し」とも書き、仏教での

「無言」の教えと解する。なお、碁盤の足はクチナシの実を形どったとも

いい、「口出し無用」を意味するとの説がある)

 

(注)突然だが、映画「旅情」(キャサリン・ヘプバ-ン主演 1952年)では、クチナシが

恋の始まりと別離の<キ-アイテム>に使われていたように記憶している。

 

 話は変わるが、安曇野の曹洞宗「穂高山宗徳寺」には、著名な水墨画家である中村画伯の手になる屏風が残されていて、そこには、花と人との関係を謳った良寛の自由で優しい心根を表した画賛(漢詩とシャクナゲ)が残されている。

“花無心招蝶 蝶無心尋花 花開時蝶来 蝶来時花開

 吾亦不知人 人亦不知吾 不知従帝則”

 

「帝則」(規則)で思い出すのが、3500年前の中国・堯代の「撃壌歌」である。

“日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食 帝力干我何有哉”で全文だが、

これを<日出れば作し、日入れば息す>と読んでは味がない。お囃子だから、

<日が出りゃあ働き、沈めば休む、飲みたきゃあ井戸掘り、食べたきゃあ耕す、

天子様などわしゃ知らぬ>といきたいものだ。

 

風に吹かれて( H30年8月号 : 東京の変わり地蔵ほか)

 暑い毎日が続きます。7月14日に安曇野入り、16日には、白馬・五竜の高山

植物園に足を運んで、家内とともに高原の爽やかな空気のなかで「ヒマラヤの

青いケシ」を見てきました。“good timing”の最盛期、素晴らしいの一語です。

 また、新潟・胎内では、全学を挙げて田植えした稲が、姿形は悪いものの、

いまのところは順調に育っています。よく、「日照りに不作なし」ともいいます。

 

 さて、6月末でしたが、久しぶりに糸魚川を訪れ、漁港や漁村の衰退の兆候が著しいなかでも奮戦している方々の活動を実感してきました。新製品の開発と

6次産業化、「フィッシャマンズ・ワ-フ」、建設業関係者や海洋高校とのコラボ、農業と水産業の新たな組合せなど明るい話題も多く、新大学も貢献ができるのではないかと大いに期待しています。

 

● がんばれ! ハーレー ・ ダビッドソン

 トランプ政権の保護主義的な関税引上げに対抗して、EUは報復関税を決定し、

アメリカの誇りである二輪車「ハ-レ-ダビッドソン」の関税は31%になると

発表された。ハ-レ-社は、これを回避するため、海外拠点での生産を増やす対応を決めたところ、トランプ大統領は、ツイッタ-で、まず、「耐えろ」と、引き続いて「やるならやってみろ、終わりの始まりになるぞ!」と、まことに上品な表現でヒ-トアップする。確かに、“悪の連鎖”の始まりかもしれない。

 

 アメリカでのハ-レ-社の評判は、「公正競争を社是とする信念の企業」で、これは聞いた話だが、日本製二輪車(ホンダ、川崎)と激しい競争の1970年代、ハ-レ-社は、米国政府に、「必ず競争力をつけるから、ほんの短期間だけ輸入関税を上げて」と要請した。しばらく後、「暫定関税はもう元に戻してくれてもよい」と政府に申し出て、約束を守ったそうである。<公正な競争は自由主義国家アメリカの建国の精神である>と主張していたころが懐かしい。

さて、ハ-レ-に追随する企業が出るかどうか、ちょっとした見ものである。

 

●  “Lien”に再会

平成25年12月号の「風に吹かれて」“高校出てから50年”で、忘れかけて

いた高校・大学時代のフランス語の例として、“Lien”(絆)と“Rien”(無)の取違えを話題にした。<Lien>については、「確かどこかで聞いた単語だが」とその後も何となく気になっていたのだが、5年が過ぎたいま、その記憶が蘇った。

 

 新潟の大学へ通う新幹線の車中は、絶好の読書の機会であって、ときには、古いものも読み返している。7月から読んでいるのは、「星の王子様」(Le Petit Prince)である。大学2年の時の教科書は「海賊版?」だったが、いまのは、もちろん、新潟駅前のジュンク書店で購入した正規のものだ。

 

 第21章にはこうある。初めて会った狐(renard)に、王子様が「遊ぼうよ」というが、狐は、「飼いならされていないからダメ」と答える。「飼いならす

(apprivoiser)ってどういうこと?」「絆を創る(creer  des  lien)という

こと、そうすれば、互いにこの世で唯一の存在(unique au monde)になるのさ」

「これだ!」、ここに記憶がつながって、ついに“Lien”(絆)  にたどり着く。

(ちなみに、読書中の本、辞書なしで読み進められる対訳版なので、念のため)

 

● 東京の変わり地蔵

久しぶりの「江戸東京散策」のため、3つのお寺を下見に歩いた。いずれも

文京区にある寺のお地蔵さんが目的で、地下鉄の「春日」または「後楽園」から

「茗荷谷」まで1駅、順にゆっくりと拝観ができる。ここに、由来を略して記す。

 

なお、これ以外にも、顔のアザが直るという「化粧延命地蔵」(おしろい地蔵-港区の玉鳳寺)、カワラケの皿を頭に何枚もかぶって、首から上の病に効能があるという「焙烙地蔵」(文京区の大円寺)も面白そうだが、またの機会にする。

 

1 源覚寺(こんにゃく閻魔)の「塩地蔵」

 「世の人・歯の悩みを祈る現益あり」「塩地蔵に塩を奉納し小屋にかかる棒

(錫杖)で直したい身体の部分を叩いて、お地蔵様の御利益を授かりましょう」

(下見の日は、丁度、「文京ほうずき市」で、境内は、にぎやかだった)

 

2 福聚院の「とうがらし地蔵」

「持病の喘息のため医者から止められていた唐辛子を食べて死んでしまった婆さんを憐れんで、近所の人々が地蔵を建立して、唐辛子を供えたところ、

これをお参りすると喘息に苦しむ人に効能があるようになった」(伝通院の隣)

 

3 林泉寺の「しばられ地蔵」

「願掛けするときに縄で縛り、叶ったときに縄をほどく」「地蔵尊は我が身を

縛られることで病や災難に苦しむものの身代わりとなって、その苦しみを引き受けてくださる」(目下は、お墓の工事中で一時移転の仮住まいだった)

 

● 脳梗塞の前兆とチェック法

気温が30℃を超えると脳梗塞が増えるというが、健康長寿の願いを込めて、

早期発見・早期治療のための情報を紹介したい。NHK朝のラジオからであるが、慶応大学の高橋准教授が話す「米国開発の方法」だそうである。(FAST法)

F=Face・・・ニ-っと笑って、顔の左右が対称的か?

A=Arm・・・ 手のひらを上にして腕を水平に伸ばして維持する。異常があれば内側へと自然に下がっていく。

S=Speak・・しゃべりは、ゴボゴボ、ロレロレしていないか?

携帯電話で家族や親しい友人に話してチェックする。

T=Time・・・いつ、その症状が出たか、時刻は必ず確認する。

経過時間と治療法のマッチングがとても大事である。

 

 そして、最後に、「軽い症状が出たとき、すぐ改善したからと放っておいてはいけない。その時に、このチェック法を使う」と締めくくった。(H30.7.25記)

 

風に吹かれて( H30年7月号 : 梅雨のあい間に)

 

上高地では、6月3日に、恒例の「ウエストン祭」が行われ、<登山シ-ズン開幕>といいたかったところですが、その後すぐに「梅雨入り」。本格的には、

7月中旬を待たなければなりません。東京の「山王祭り」も雨のなかでした。

 

さて、胎内キャンパスから遠望する飯豊連峰は、7月1日が胎内口の開山式、黒川村の「燃水祭」(国産石油を採油・朝廷に献上)を経て夏模様になります。

4月に定植したジャガイモには、一斉に白い花が咲き、間もなくの収穫が楽しみです。このほかにも、露地では、トウモロコシ、ナスが、ハウスや温室には、トマト、キウリが生育中、ブドウ、ブル-ベリ-の苗も植える準備ができて、農作業は最盛期を迎え、学生たちも次第に日焼け顔になっていきます。

7月号は、「つゆ空の下での雑感」の寄せ集めになりました。(H30.6.27記)

 

● 金委員長は “エアー・チャイナ” で!

互いに呼び合う<若造>と<老いぼれ>の勝負は、どうやら、若造が優勢に見えたが、真の勝者は中国だったのではないか。体制保証の約束で朝鮮半島のバリヤ-は維持され、北朝鮮に大きな貸しもできて、やれやれの一息だろう。

CVID抜きの約束は、2005年の6か国にすら劣る。「これからの協議で」など、

雲散霧消か立ち消えになることだろう。11月の中間選挙対策のパフォ-マンス

ととらえるのが正しいと思う。

 

さて、北朝鮮の金正恩委員長、当初予想されたのは、専用機「イリュ-シン66」によるシンガポ-ル入りだったが、結果は、中国国際航空便=米国製のB747の旅になった。なにせ「イリュ-シン66」は、50年以上も前、1966年開発ソ連製、部品も十分でなく、航続距離1万kmも怪しい。中国戦闘機が護衛する中国上空ルートだった。万一に備え、自らの生命、体制の保証を考えての選択であったのだろう。自前での安全旅行手段を持てない中での「米朝トップ交渉」の受諾は、国家体制・政権がギリギリのところへ来ているように思える。

中国には、ずいぶんと借りができてしまった。その発言力は高まるであろう。

 

余談にはなるが、専用機イリュ-シンで、失礼ながら、旧日本陸軍の「三八式歩兵銃」(明治38年・1905年)を連想してしまった。さらに、コペンハ-ゲン空港で、「ソ連のツボレフに乗ってはいけない、よく落ちる」といわれたことも

思い出す。金委員長の選択は、こと利用航空機に関する限り正しい。

 

● 本来の日本橋は戻るか?

 日本の道路基点である「日本橋」の上空を覆っていた鬱陶しい高速道路が、20年の期間と3000億円を投じて、地下に移されるようである。

 小泉総理が「何とかしろ、日本の恥だ」とおっしゃられたのが2005年ごろで、復興構想に辿り着くまで10年以上、着手は2020年以後だろうから、なんとも気の遠くなるようなペ-スだ。関西歌舞伎の大名跡「坂田藤十郎」が復活したとき、日本橋川遡上の「お舟入り行事」が様にならないということであった。

● 植物の日本名

ゼラニウムは「天竺葵」(てんじくあおい)、おそらく、海外(天竺)から

渡来して、花の形は葵に似ているところからの命名か。一方、シクラメンは、

「豚の饅頭」(ぶたのまんじゅう)だそうだ。こちらは、地下茎が丸いからだと

説明されてていた。植物学者が悩んでつけたのか、それとも茶目っ気か。

 NHKラジオ深夜便からである。ちなみに、最も短い植物名は「い」、最も長い名前は、「りゅうぐうの・おとひめの・もとゆいの・あまも」(龍宮の乙姫の

元結の甘藻)だそうである。こちらの英語名は“eel grass”と短いとか。

 

 さらにもう一つ。クロ-バ-の和名「シロツメクサ」の由来だが、<19世紀半ば、オランダからガラス製の花瓶や照明器具を長崎へ運ぶ際、壊れないようクッション材として 「詰めた」 役割の名残り>だという(新潟日報6/13)

 

● 「風除室」

 “雪の新潟、吹雪に暮れて、佐渡は寝たかよ、灯が見えぬ”ご存知、佐渡おけさの一節である。新大学が立地する「胎内地方」の民家の特徴に気がついた。

 冬場の豪雪に対応してのものだろうが、玄関前に、1~2畳のガラス温室状の小さなスペ-スが設けられている。そこで雪を落としてから玄関内へである。都会のマンションなどにある「風塵室」といったバッファ-・スペ-スとも

類似するが、その地域の気候、気象に応じた景観でもある。

 

● ドギー・バッグからTo-Go-Bagへ

 食品ロスを減らそうという提案の中で、米国のレストランでの「持帰り」を

ドギーバッグと紹介したが、最近では、堂々と、To-Go-Bagと称するらしく、

容器も工夫されて、環境団体からは、スターター用の、しゃれたデザインで、繰り返し使える折り畳み式のプラスチックケースも開発・利用されている。

 

 新大学では、300年続く露店市へ学生たちが8つのカンパニ-(ミニ会社)を

編成して出店するが、売れ残った商品(主に食料)をどうするか、辿りついた

結論は「“子ども食堂”に寄付」だったが、6月23日は、「完売」となった。

 

● 「ガタパチャ」と「アマルガム」

このところ、夫婦して同じ歯医者に通っている。UCLAに最新の治療を学び、治療の説明は丁寧で、話題も楽しい。歯科の治療技術はずいぶん進んだ。

 

まず、小生の方から。割れた歯をいったん引き抜き、割れを接合して、元の

歯茎に再移植する新技術の治療を行った。併せて、歯根治療のため歯のなかに詰めてある物質を除去し、内部を消毒する。固まって、取り除きに苦労した。その「物質」の名は「ガタパチャ」、要するに「ゴム」だが、どこかで聞いた。そう、「糸巻のゴルフ・ボ-ル」=ガタパチャである。久しぶりの言葉だった。

 つぎは家内で、同じく詰め物「アマルガム」=合金の一種で、最近の学説では、

歯磨きを通して悪性のガスを出すので除去が望ましい。しかし、除去時に吸引

してはならず特殊な装置が必要だったが、こちらも整備されておりOKときた。

 

風に吹かれて( H30年6月号 : 信濃、越後、東京から)

 

 あづみ野のベスト・シ-ズン「初夏」がやって来ました。「特急あずさ」にも、

大糸線の列車にも登山客の姿が目立ち始めました。当地の田植えは5月中旬で、振り仰ぐ常念山脈も、雪形が、常念坊主 → 馬鍬 → 蝶々と移っていきます。

 一方、東京の麹町、番町界隈には、6月中旬の「山王祭」に向け、「寄進」の額も掲示され出しました。そして、新潟の新大学では、5月18日の曇天の下、学生・教職員総出で田植えです。“米は宝だ、宝の草を植えりゃ黄金の花が咲く”、収穫の秋が楽しみです。ちなみに、この文部省唱歌ですが、教職員も含めて、誰も知りませんでした。では、来年は学長が歌おうかな?  (H30.5.20記)

 

● 金‐文‐虎の3人に 「ノーベル平和賞の動き」 だって

6/12シンガポ-ルで米朝会談、和平プロセスの前進が期待されているが、

そのことと政治家への「ノ-ベル平和賞」授与とは異質なものである。政治は、あくまでも<結果>なのだ。平和賞を授与した「パレスチナ合意」の今日の

状況が全てを語る。とても「Nobel Peace Prize」といえるようなものではない。

いうならば“novel-peace”prize、3人とも、辞書を引いてみるがよかろう。

 

● ちょっとしたことで分かる北朝鮮農業の実情

これまたNHKテレビの報道である。4/17の「 ニュ-ス9」では、南北朝鮮の友好・緩和ム-ド強調のアナウンス、「オリンピック以降はいいことばかり」と現地の声を中心に拾っていたが、一瞬、望遠レンズに映った国境線の向こう側、北朝鮮の春の耕起作業は、<2頭の牛を使って、それぞれに犂(すき)を繋いだ、日本では50年以上昔の農作業>だが、音声は、ここには何も触れない 「北鮮・忖度ぶり」である。このような経済の状況抜きの報道には疑問と意図を感じる。

 

通訳はつらい

4月20日の報道(読売)、日米首脳がゴルフ・カ-トの同乗の写真で、2人

乗りカ-トの後方のバ-を掴んで2人、首脳以外の人物が顔を突き出し、日米首脳に耳を近づけている。これは、通訳者であろう。3時間のワン・ラウンドとしても、また、仕事だとしても、緊張の多い、つらい仕事である。

 

● 新潟の銘酒「三梅」

 ここからは新潟の話になる。一般に、三梅とは<越乃寒梅>(新潟市亀田郷)、<雪中梅>(上越市)、<峰乃白梅>(新潟市西蒲原)を指しこれで終わりかと思っていたが、新潟90の酒蔵には、もう3つ、銘酒の「梅」があるらしい。

 それらは、<越の寒中梅>(小千谷)、<越後雪紅梅>(長岡市)、そして、<越後乃紅梅>(上越市頸城>である。なんとか、6梅を制覇したいものだ。

 

● 「良寛牛乳」

故郷はよきものかな。ロ-カル色が満載の命名である。3月22日の高速道路、

脇を走る小型トラックに目をやると、三島郡出雲崎「良寛牛乳」とあった。

 一目見て、「ナルホド地元産」である。

 

● まだまだ元気なベンチャ-ズ

新潟駅コンコースのポスターに驚いた。「ベンチャーズ・ジャパン・ツアー

2018年7月26日新潟テレサにて、全席指定6000円、曲目は、①ダイアモンド・ヘッド、②パイプ・ライン、③雨の御堂筋ほか」である。

 遠目にも歳はとっているが、「ああ、彼らはまだ元気だったんだ!」

 

● 新幹線から見る「赤羽-上野崖線」

上越新幹線で帰京の際に、赤羽あたりから上野にかけて、顕著な「崖線」が

観察できる。これが「上野崖線」である。「崖線」は、河川や海の浸食作用で

できた崖の連なりで、氷河期後の東京湾の海面上昇で台地が浸食された名残りである。上野の大地は、かつて「上野半島」でもあった。

 

 この崖線直下を京浜東北線が走り、王子駅付近では、飛鳥山に沿って音無川(石神井川)が流れ込む。また、日暮里、田端では、切り通しの道路と交わる様子が見て取れる。また、内陸では、多摩川沿い「国分寺崖線」が有名である。

 東京都の説明では、「崖線の緑は、自然の地形を残し、かつ、市街地の中で、

区市町村を越えて連続する東京の緑の骨格で、崖線の下には、多くの湧水や動植物などの資源がある貴重な空間である」となっている。

 

 音無川渓谷、王子製紙発祥の地、23区唯一の蔵元「小山酒造」(丸真正宗)が立地するのも流水、湧水、地下水に恵まれた崖線のお蔭といえるだろう。

 

● 気になる言葉づかい

 テレビでもラジオでも、このところ、言葉遣いが気になって仕方がない。

おそらく、歳のせいであろうか。

 「容疑が“整い次第”逮捕する」容疑を整えられてはたまらない。おそらく、

“固まり次第”の誤用ではないか。(4/14 NHKテレビ)

 「スポ-ツ選手たちが、茶道の心に学ぶシ-ンに出た字幕」に、<結構な

“お手前で”>とある。(4/17) これは<お点前>の間違えかと気になって

辞書を見ると、「茶道の手前は、“点前”とも使う」、当方の知識不足であった。

 

● ヘンな言葉づかい

 先月号で、「霞ヶ関の官僚答弁などに、最近、言葉の乱れが目立つ」と述べ、

その一例として、「○○と・なってございます」を挙げた。マスコミも同様で、

5/15の読売新聞の社説はとくにひどかった。完全に、日本語を殺している。

 

 社説の趣旨は、「国会は不祥事対応に終始することなく、国際情勢ただならぬ現状に鑑み、建設的論戦の場とせよ」というもので、まともな主張であったが、

13のパラグラフ末尾のうち、7つが「ねばならない」「べきだ・べきだった」で結ばれていて、日本語になっていない。

 「はず」「べき」「ねば」の大間違い、いずれ「がっかり」、やがて「がっくり」だ。<了>

 

風に吹かれて( H30年5月号 : 三大奇祭ふたたび)

 

 北朝鮮問題ですが、6月初めまでには米朝首脳会談がありそうです。お互いを「ロケットマンの若造」vs.「老いぼれ」と非難しあっていた2人がどのような

 

作戦で臨むのか、やや蚊帳の外の日本としても気になるところです。北朝鮮が米国側を十分研究しているのに対し、トランプ政権は内部崩壊気味で、自分のことばかり優先して走る可能性が大、「北朝鮮ペ-ス」の嫌やな感じがします。

 

 一方、国内問題での気がかりは、<あってはならないこと>や <前代未聞>、 <言語道断>、 <懲りない> の連続、国権の最高機関・国会の権威は軽視され、霞ヶ関も、財務、厚労、文科、防衛と「制度疲労」の時代に入ったようです。

 

 

 

さて、5月号では、「米朝会談」「韓国の文化感覚」「続・三大奇祭」、そして、

 

「孤独を恐れない」を取り上げました。           (H30.4.26記)

 

 

 

●  <北朝鮮の核保有を容認>となりかねない米朝合意に要注意!

 

前哨戦が盛んだが、いよいよ米朝交渉が本格化する。この交渉プロセスには十分な注視・分析と最悪の事態を含む多様な選択肢の検討が不可欠である。

 

北朝鮮は、「現体制継続の保障=平和条約、経済支援の再開」と「交渉継続による時間稼ぎ」の両にらみ作戦であろうし、そのエサには、見せかけばかりの<核実験中止、実験場廃棄、ICBM実験発射の中止>をデイ-ルに使う。(いまや

 

核開発は終了、ICBMも兵器化は完了、実験場は崩壊寸前で、北朝鮮は痛くない)

 

 他方、アメリカは<北朝鮮の非核化=現有核の廃棄とICBMの放棄>を迫るのだろうが、非核化の確認にはIEAの査察が伴うから、難しい交渉になるだろう。

 

 

 

最もミゼラブルで恐ろしい合意は、アメリカにとってクル-シャルなICBMを放棄させたいがために<北朝鮮の核保有を認めてしまうこと>である。これは、東アジアの集団安全保障からの撤退、ひいては、アメリカの核の傘の下にいる国々に、<独自の核武装・自己防衛OK>に道を開くことに通じる。国際社会の悲願<核拡散防止>と全くの逆方向をもたらすことにもなりかねない。

 

日本は、アメリカに対して、<地政学を考えた地域的・長期的な交渉>を

 

説得し、場合によっては、逆プレッシャ-をかけるべき時期に来た感がある。

 

 

 

ウリ・ジナル( not “original”)

 

産経新聞からの引用である。(韓国では)「われわれは中国文化を受け入れ、それを模倣するにとどまらず、またそれに同化しわが文化の本当の姿を失なう

 

ことはなかった・・・中国文化を受容し、それを民族と国家の繁栄に適切に、

 

再び創意力を発揮し、新しい文化を創造してきた」(韓国の高等学校世界史)

 

筑波大学の古田教授は、<受容すればわれわれのもの→ウリ・ジナルへ発展>

 

これを表現している。

 

 

 

平昌オリンピックで日本の女子カ-リング・チ-ムがハ-フ・タイムのときおいしそうに食べていた韓国産のイチゴ、これもまた日本産を完全に盗用しておきながら<自国産の独特のもの>と称する<ウリ・ジナル>である。

 

 

 

●  続・三大奇祭

 

 日本では、三、四、七、八など「吉」の数字を重要なことの冠に被せて使うことが多い。まあ、中国での「白髪三千丈」や「xxxx30万人」ほど大げさではないが、日本人も、数合わせが好きだし印象にも残りやすい。

 

 

 

 かつて、平成28年の8月号に「青森のキリスト祭」を取り上げたところ、

 

読者のお一人から「自分も三大奇祭の一つとしてこれを紹介したことがある。そのときに取り上げた三大奇祭は、次の3つである」というメ-ルを頂戴した。

 

①   青森(新郷)キリスト祭、②神奈川(川崎)かなまら祭、③和歌山(日高川)笑い祭

 

新郷では、「キリストは死なず日本に渡った…浄め給え」と唱え、川崎では、巨大な「男根」を女性たちが神輿に担ぐ、日高川では、ド派手な原色の衣装と白塗りのメ-クで、鈴を片手に「笑え、笑え」と強要する怪人の登場だ。

 

 

 

<ナルホド三大奇祭にふさわしい>と、そのときは得心していた。ところが、3月4日の「新潟日報」には、「日本三大奇祭の一つともいわれ、1200年以上の歴史を持つ<裸押合い祭>が、浦佐の<毘沙門堂普光寺>で開かれた」とある。

 

おや!と思い、インタ-ネットを検索すると、自称の三大祭が次々に出る。

 

<秋田のなまはげ柴灯祭>、<諏訪大社の御柱祭>、<山梨吉田で富士山の

 

噴火を鎮める吉田の火祭>、<静岡島田の帯祭(鹿島踊り)>、<岡山の裸祭>、

 

<岩手黒石寺の蘇民祭>、いずれも甲乙つけ難く、ふるさと自慢が微笑ましい。

 

 

 

余談にはなるが、しばしば、「三代奇人」とか「四天王」とのいい方もあり、奇人の方では、「アンタ、その一人?」と指摘されると「あれはオレではない、○○ではないか」と逃げ、四天王の場合は、「4人目はオレだ」と名乗り出る。

 

 

 

●  孤独遺伝子

 

またまた、明け方のNHKラジオからである。<群れる・交わる>の利点に

 

ついて、これまでの通説では、「一般的に、他人とつき合いのいい人は、健康で長生き、子孫も増えて種の保存に貢献し、そうでない人には<孤独遺伝子>があって、それで<ハグレ鳥>になるのだ」と否定的にいわれてきた。

 

しかし、最近の学説では、<孤独遺伝子>を肯定的に捉えて、「感染症などのエピデミックによる集団絶滅の危機を回避するためにあらかじめ組み込まれたリスク対応の重要な遺伝子である」とされるようになってきた。

 

 

 

ヨ-ロッパ大陸からアメリカに渡った人々には、フロンテイア精神があるが、この根源もどうやら<孤独遺伝子>で、しかも、寿命には関係ないというのだ。

 

そういえば、遙かな昔、中西部の農場を訪問したとき、隣家とは100マイルも離れた牧場に住む老婦人に「寂しくはないか?」と質問したときに、「い-や、自由でよい、それに衛星放送と電話があるから」との答えに驚いた記憶がある。

 

かくして、「孤独、大いに結構」、生まれたときも、死ぬときも一人、決して、「孤独死」などといってはいけない。独来、独生、独去なのだから。  <了>

風に吹かれて(H30年4月号 : ウソか、まことか)

 

 

 政治外交に振り回された冬季オリ・パラも終了し、日本、とくに女性陣の活躍は見事なものでした。メダルの数もさることながら、立振る舞いの美しさ、優しさは、韓国との比較もあって、世界中の好感を呼んでいると思います。

 

 

 

 サクラ前線が急速に北上、スギ花粉も最盛期になり、「青陽の春」は、もう目の前なのに、国会の方はあの体たらく、お寒い限りです。最古・最強を自称する財務省の「決裁文書改ざん」は、国権の最高機関たる立法府をコケにしたという点でも前代未聞です。慌てずに真相をしっかり究明すべきでしょう。

 

 

 

 ところで、「xxと思ってございます」なんて答弁は、日本語を殺していますね。

 

 

 4月号の「風に吹かれて」ですが、ちょっと趣を変えて、1月15日の講演、「産官学イノベ-ション・フォ-ラム」で用いた<噺のまくら>をご披露いたします。ウソのようなホントの話?真偽は確認しつつご笑覧ください。(H30.3.20記)

 

 

(1)GPSと漁船自動操縦の精度

 

 

 

「全地球測位置システム」(GPS)により、産業は多大な利益を得てきた。また、11月には、さらに精度を向上させたGPS人工衛星「みちびき」も打ち上げられるので、乗用車や農業機械の自動操縦にも利用範囲が広がる。

 

 

初期のころは、笑い話も多い。<夜中に漁船を自動操縦にして眠っていたら、防波堤に激突した>とか、<水域越境の漁船が「救命ボ-トにGPS受発信装置・インマルサット」を乗せて境界線内に放置、記録上では「装置喪失」と記して報告していた>とか、そのような冗談話が伝えられている。GPSの<誤差>が10m単位のころだ。「みちびき」は、誤差が6cm以内にまで縮小されるので、自動操縦のレベルは、格段に上がるだろう。クラウド・コンピュ-タとGPSやドロ-ンの併用により、「スマ-ト農業」の時代もやってくる。総理も「2020年には、自動トラクタ-などを商売ベ-スに乗せる」といっている。

 

 

 

(2)LEDへの切替えでイカが不漁に

 

 

 

イヌの嗅覚は人間の数億倍といわれ、この能力が警察犬や麻薬捜査犬に活用されている。また、小さな脳みそであるにも拘わらず、カラスの能力も凄い。

 

 

 

イカだが、釣り漁船は船側にたくさんの電球を吊してイカを集魚する。この電力エネルギ-費用が膨大なため、近年、安上がりのLEDに交替した。初期のころの話だが、切り替えたLED漁船で、イカの食いつきが悪くて、困り果てたことがあったそうである。

 

 

 

人間様には<白熱電球と同じ>と思えたLEDの微妙な色合いが、<イカには全く別の色>であったらしいのだ。しかし、そこは<必要は発明の母>、LEDの色のバラエテイも増えて改善され、いまでは、遜色のない状況になっている。

 

 

 

 

 

(3)雪国の信号機では雪落としが大変

 

 

 

まず、10年ほど前の札幌での体験で、大豪雪に遭遇したときのマスコミ報道からである。LEDの信号機(横長)では、上に積った雪が溶けないで交通麻痺が起こったのだ。LEDは熱を発しないので、積った雪は人力で落とすしかなく、却ってコスト高になった。その後の改善第一弾は、<信号機を縦長にして雪が積もる部分を小さく、落ちやすいようにする簡単な方法>であった。

 

 

 

つぎは新潟。ここも同じように横長を縦長に替えているのだが、右・左折も表示する複雑な大信号機ではやはり積る。この1月の豪雪のときは、警察官がアルミの自在棒で雪を落としていた。子細に観察すると、さらなる改良型では、①信号機が薄くなる、②少しばかり下向きに角度を付いて落ちやすくなるとの工夫があって、進歩はまだ続いている。これで終わりか、次があるのか・・・。

 

 

(4)農山村は未利用エネルギ-資源の宝庫

 

 

 

①  太陽光、風力は無尽蔵で、また、基幹的用排水路4.5万kmでは、13~14億kw/h分の「小水力発電」も可能というデ-タもある。

 

 

 

②  再生エネルギ-が「ベ-ス電力には不安定」なら、組合せの工夫で安定確保できるだろう。<空が曇れば風は吹く、水はいつでも流せる>のだから。

 

 

 

③  農地・森林利用と電力利用の両立・棲分けもできる。日陰を好むワサビ田に掛けられている日よけの<寒冷紗>を可動式ソ-ラ-・パネルに活用する。

 

 

 

④  バイオマス・エネルギ-が既刊の「里山資本主義」に登場するが、地域内の小さな循環系のシステムが肝要だ。ドイツやオ-ストリアのバイオマスは、チップを積載したのタンクロ-リ-が電話一本で地域内を走る「木配り」だ。

 

 

 

⑤  小水力もマイクロ水力(水道管、下水管)も、能力と需要規模に応じた循環システムが不可欠だ。多様なエネルギ-調達を構想することが必要である。

 

 

 

(5)きらら397開発秘話

 

 

 

「きらら397」の本名は、<上育397>、つまり「上川農業試験場育種No.397」

 

 

 

 

 

 「猫またぎ」とまでいわれた北海道のコメが、この開発を契機に大進歩する。その裏にあったのは、試験場の技師「稲津さん」によるの発想の転換だった。通常、品種更新の速度は1年に一度しか進まないが、沖縄に新種子を送って「2期作・稲作体系」に委ね、スピードを1/2の期間に短縮したのである。

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風に吹かれて( H30年3月号 :春まだ浅し)

  先月号で、<デビュ-60年を超えて活躍中の「ボニ-ジャックス」>を紹介しましたが、メンバ-のお一人「鹿島武臣さん」は、わが母校の出身でした。

 

北園高校5期の1953年卒業ですから、年齢は83歳、2~3年前まで、お住いの浦和地区でもコンサ-トを開催していたと「九曜会」(高校同窓会)から情報がありました。先輩方のご活躍は、嬉しく、かつ、励みにもなります。

 

 

 

「一陽来復」、3月号は、論評集のようになりましたが、ご容赦ください。

 

● 「‘18豪雪」 か、「(平成)30豪雪」 か

 

  北陸・信越は、「56豪雪」(昭和56年)以来、37年ぶりの大雪で、平地でも前が見えない<スノ-・アウト>、魚沼守門地区では2mを超える積雪、福井・石川の県境では1500台もの車が雪で立ち往生だった。ただ、ほとんどの列車が運休になるなかで、さすが雪に強い「上越新幹線」、<通常運転>とは恐ろしいくらいで、却って、あまりの几帳面さが気になった。東京入線5分遅れを車内清掃時間の短縮と速度アップで取り返して、新潟に<時刻通り到着>である。

 

角さんではないが、関東平野の晴天が越後人には羨ましいのだとよく分かる。

 

●    御神渡り神事

 

  2月6日、諏訪湖畔で「御神渡り神事」が取り行われた。結氷が進んで、湖の中央部が盛り上がり、対岸まで山の尾根状の道(?)ができる。このところの暖冬のせいか、5年ぶりのことだそうだ。

 

 

 

 伝説では、「御神渡りは、男神が対岸の女神に会いに行くための道づくり」というから、何ともしゃれた話である。そして、この道の姿かたちで、作物の出来や景気の状況もわかるらしい。本年の占いは「作物は豊作、景気もよし、形は、昭和20年に類似」というが、この年は「凶作でどん底景気だった」 はずだが・・・。

 

● 名護の市長選はパンダとスタバ?

 

 沖縄・名護市長選の結果を受け放映されたBSフジ「プライムニュ-ス」は、反町キャスタ-の突っ込みと敗北を認めようとしないコメンテ-タ-たちのかけ合いが面白かった。

 

 

 

(反町)「安倍政権支援の渡具知当選は、辺野古移設容認されたということか」

 

(コメンテ-タ-)「渡具知さんへの投票者も多くは慎重派だ」

 

(反)「では、その違いは、選挙民が稲嶺さんの経済政策に不満足ということか」

 

(コ)「稲嶺さんも、経済政策は、同じぐらいよくやっていた」

 

(反)「経済政策が同程度で、選挙民の大半が移設反対ならば、ふつうなら稲嶺当選となるのではないか」

 

(コ)「今回は事前投票が多く、公明党の組織票も含めて強制動員があった」

 

(反)「それは稲嶺派の努力が足らなかったということで、やはり、経済政策・地域振興策の将来展望がないことを意味しないか」

 

(コ)稲嶺さんは、地域振興もよくやっていて、例えば、パンダを持ってくるといっていた。渡具知さんの方はスタバを持ってくると・・・」

 

(反)「じゃあ、パンダがスタバに負けたことになるじゃないですか」

 

労働組合の集会でもなかろうに、「組織動員の差」とは古めかしい。

 

 

 

 さて、ついでのことながら、湯島・本郷・上野の散策で、東大構内を訪れたところ、工学部11号館の学生ラウンジの隣に小綺麗な「スタバ」があって、土曜日にも拘わらず営業していたのには驚いた。世の中は変わるものである。

 

●    2国間の合意は守られて然るべき?

 

予想どおり、北の陽動作戦・宣撫作戦が功を奏し、平昌五輪は、「ピョンヤン(平壌)五輪」の様相となった。

 

 

 

2月9日開幕の平昌五輪に合わせて「北朝鮮・金剛山」で行われる予定だった両国の合同文化行事について、北朝鮮は、1月29日に一方的な中止を通告してきたと報道される。理由は、韓国メデイアによる北朝鮮への冒涜だといわれる。

 

これに対する「韓国統一相」のコメントがすばらしかった。「2国間で正式に合意されたことは必ず守られなければならない」だと、正にそのとおり、この際、文在寅大統領も、日韓正式合意の「慰安婦問題」<不可逆的・最終的な合意>を「必ず、完全に実行するのが当然」となるのが筋というものだ。

 

 

 

根無し草の身勝手な考え・行動は、韓国首相の発言にも現れている。「アイスホッケ-南北合同チ-ム問題」では、「メダルのチャンスはないのだから練習の積上げはなくてもよい」と<スポ-ツの祭典>を無視するのが哀れにも思える。

 

北鮮への経済制裁で禁じられる「万景峰号」の特別寄港は、なし崩し融和的行動で、日米韓分断作戦に乗せられたかのような危うい動きは大いに気になる。

 

 

 

余談になるが、スポ-ツでも、韓国は「恨(ハン)の国」だ。これまでの五輪でも、韓国を破った選手らへの誹謗中傷が頻発している。今回も、女子のスピ-ドスケ-トSTで「韓国選手が失格でメダルを逃して憤り、3位のカナダ選手にはソ-シャルメデイアでの罵倒や殺害予告が殺到、警察が捜査を開始、IOCからも警告がなされている」(新潟日報2/19)たぶん、これは、未来永劫、治らない。

 

 あの「置いてけぼりパシュ-ト騒動」の根っこもここにあるのかも知れない。

 

 

 

 

 

●    台湾と日本

 

「広辞苑」の新版で、<台湾は中国の一部>と解説をこれまでと変えたとされ、多くの議論を呼んでいるが、その話ではない。

 

 

 

 台湾で発生した大地震に対して、日本がいち早く救助隊を送り、台湾からは大いに感謝されている。中国からも救援の申し出があったのだが、「必要はない、救助の手は足りている」と断っている。受け入れられたのは日本だけだという。

 

今後の台湾‐中国関係を考えると、「借り」は作らないということかもしれない。

 

 東日本大震災のときに、台湾がすぐに救助隊の派遣を申し出たにも拘わらず、 中国の派遣態勢が整うまで台湾を待たせた「菅政権」の対応とは違うものだ。

 

●  日本文化の守り人

 

相撲協会の理事選挙(2/2)に敗れた貴乃花親方が、2月7日のテレビ朝日のインタビュ-を受けたが、「衝撃的」であった。20通にわたる意見書が全く無視されていたというもので、協会側の<結論ありき><印象操作>で<鏡山親方の協会ジャンパ-着用・これ見よがしパフォ-マンス>の意味がよく理解できた。

 

 

 

大相撲への姿勢の点では、先立つ1月31日に更新された「貴乃花部屋」のホ-ムペ-ジのなかで、貴乃花は、「相撲は、競技であるとともに神事であり、日本文化の守り人である」、「後の世代に伝えていかなければならない」という。2月1日のHPは、「大相撲はこれでよいのか、相撲協会は公益法人といえるのか、将来、相撲は残っても協会は消えているかも知れない」と危機感を語っている。

 

 

 

貴乃花の思いは、イタリア映画「山猫」でのセリフ ”Change to remain the same”にも似ており、また、昨年10月号でも紹介した民俗学者「柳田國男」の<捨つべきものに固執し、守らなければならないものを捨ててしまう愚>とも共通する。大相撲の改革は、「日暮れて道遠し・不祥事は続く」ことだろう。

 

<理事選に12人立候補か>との情報も、無投票への作戦だったように思える。

 

 

 

ことの本質は「内々で済まそうと思っていたのに表沙汰にしやがって」にあるのだから、評議員会と理事会をしっかり分ける、部外の理事が過半となるようでなければ「公益性」は保証されない。いやなら、<公益>の2文字を外して、

 

 

 

「一般財団法人化」すればよいだけの話である。

 

●    アルマ-ニの標準服

 

 報道を知って、率直なところ、「アホかいな」が印象である。<標準服で制服ではない、強制ではない> <賛成している保護者も多い>などと弁明するが、たぶん、<もう走り出していて戻れない>が本音だろう。そこで思うのだが、強制ではない、作るも着るも自由な標準服というのなら、デザインと色などを公開して、アルマ-ニに注文するもよし、母親や知り合いに作ってもらってもよしとしてはどうか。小学生の成長は早いから、このままだと毎年8万円もの多額の支出を家庭に強いる。銀座にあっても、家庭の経済力はまちまちなのだ。

 

 

 

 私立学校でもあるまいし、そもそも、小学生のうちは多様なファッションの生活をした方が情操教育上もよいと思うが。それとも、この際、どこかの学校法人に学校ごと売却し、その名も、<泰明アルマ-ニ小学校>と変える、制服・標準服のみならず、学校中の全てのデザインを彼らに任せたらいかがだろうか。

 

 

 

“島崎藤村、北村透谷 幼き日 ここに学ぶ”

 

泉下の先輩が「なんとセンスがないことよ」と嘆く姿が眼に見えるようである。

 

                                  (H30.2.26記)

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風に吹かれて( H30年2月号 : 「はるかな友へ」 )

  この2018年は、明治維新以来150年に当たり、各種の記念行事も予定されているようです。一方、わが身に重ねてみれば、初めて社会人になった1968年が「明治100年」で、「その後の50年」とは切り分けられて、どちらかといえば、「あれからもう50年なのか」の方に感慨深いものがあります。漫画の「意地悪ばあさん」(長谷川町子)には、嫁にやり込められたバアさんが天ぷら屋で嘆く「明治生まれが昭和にやられ、大正エビでウサばらし」のシ-ンがありました。

 

「退位~改元」となれば、自らも三代を生きて、昭和も遠くなっていきます。

 

 さて、2月号は、旧い話、新しい話、復活の話を集めました。(H30.1.29記)

 

 

 

●  デビュー還暦を迎えたボニージャックス

 

12月26日の明け方のこと、ラジオをつけたままうつらうつらしていると、懐かしい歌声が聞こえてくる。ふと目覚めれば、「静かな夜更けにいつもいつも思い出すのはお前のこと、お休み安らかに辿れ夢路・・・」ボニ-・ジャックスの「はるかな友へ」のハ-モニ-だ。解説では、<昭和33年のグル-プ結成以来60年の還暦、レコ-ド化されたのは5000曲>。すると、年齢はみな80歳以上であるのに、この歌声は何であろうか。さらに続く曲は、「だ-れかさんが、だ-れかさんが、だ-れかさんが見-つけた・・・」と「小さい秋」に連なっていく。

 

 国内では、ダ-ク・ダックスも去り、海外のグル-プでも、PPMは解散して、キングストン・トリオもブラフォアも、最近はあまり聞かない。そんなさ中の12月末、中野サンプラザには「トリオ・ロス・パンチョス東京公演」の広告。これを見て、「ああ、彼らはまだ元気だったんだ」と、またビックリである。

 

● 焼き場に立つ少年

 

1月1日、CNNからの配信である。ロ-マ法王フランシスコは、「1945年の長崎原爆の被害者の写真をカ-ドに印刷し配布するよう」指示を出した。また、カ-ド裏には、法王の要請で、「戦争が生み出したもの」との言葉が記載される。

 

 このような指示は初めてのことであることから、法王には、核戦争の危機に直面していることへの特別のメッセ-ジが込められているのだろう。

 

 J・オダネルが撮影した「焼き場に立つ少年」の<拡大ポスタ-写真>を見て、涙が止まらなかった経験を持つが、さらに、この少年の立ち姿には、日本人の矜持というか、死者への崇敬の念を現代人に問うているのだと考えさせられた。

 

● 「ハナ垂れ」焼酎特区と「加賀の井」の復活

 

「洟垂れ」ではない、<初っ端、出端>の「ハナ(初)」である。

 

東京の青ヶ島村には、島のサツマイモと麦麹で仕込んだ特産の「青酎」があり、その製造工程のごく初めに少量出てくるのが「初垂れ(ハナたれ)」だ。ただ、度数が60度と高いため、酒税法の上限(45度)を超えるため、観光客に販売できなかった。それを「特区制度」を使って、島内に限りOKとしたのだ。こういう構造改革特区なら悪くはない。なにせ、酒税法は、食品・飲料の品質などはお構いなし、もっぱら徴税の確保が目的だからかなわない。

 

 かつて、ある経済界の方々との会合で、怪しげなビン入りの「ハナたれ」を賞味したが、誠においしかった。どこの焼酎産地にもありそうだ。

 

 

 

 一方こちらは日本酒である。糸魚川の大火で酒蔵が焼失した「加賀の井」であるが、予想どおり不死鳥のごとく蘇えった。隣県富山「銀盤」の蔵を借りてささやかな製造を続けていたが、このたび、大火前の1.3倍の造石規模で再開する。若い兄弟の経営者は、「酒蔵の完成は<復旧>でしかない、事業が軌道に乗って初めて<復興>だ」と気を引き締めているとのこと(12/22新潟日報)、まことに頼もしい限りで、3月の工場完成、来年の新酒が楽しみである。

 

蛇足ながら、富山の「銀盤」もおいしい日本酒で、しばしば注文している。

 

 

 

● 「信濃の国」 7番の歌詞募集中

 

信州にも触れたい。追加→リニュ-アル→新装開店となる模様である。

 

<松本、伊那、佐久、善光寺、4つの平は肥沃の地…>に始まる長野県の県歌「信濃の国」は、東・北・中・南の地域、ことに仲の悪い長野と松本を束ねて一つの県にまとめようとの意図から作られ、1968年(昭和43年)には、正式の「県歌」になった。ちなみに、このことは、内田康夫の「信濃の国殺人事件」などを引用して、「風に吹かれて」の平成25年9月号に記した。

 

 県歌の歌詞は6番まであるが、報道によれば、このほど制定50年を記念して、「7番」を公募するらしい。6番でも十分長く、とても記憶しきれないのに、<7番+>とは、孫文じゃないが、「ああ未だ革命(県の一体化)ならず」か?

 

 知事も、「歌われる機会が少ない、広めて受け継がれていくよう」と語る。

 

 

 

● いわさき・ちひろ生誕100年

 

 安曇野市の隣、松川村に「ちひろ美術館」がある。2018年は、ちひろの生誕100年に当たる。空襲に焼け出されてこの地に疎開してきたちひろは、55歳で死去するまで心温まる絵本を書き続けてきた。

 

 長男の美術評論家「松本たけし」によれば、彼が芸大3年のときらしいが、母のちひろの遺作を保存しようと、各地の美術館を回ったが、どこも、ケンもホロロの拒否だったらしい。日本の絵画の世界には古い「順位付け」があって、油絵→水彩画→日本画と来て、挿絵は下位、絵本などは圏外であったという。そこで発奮し、第二の故郷「松川村」に自ら美術館を建て、いまは「千客万来」。

 

なお、ちひろは、東京府立第六高女(現在の三田高校)の出身、夫であった共産党の論客「松本善明さん」は、いまもお元気とのことである。

 

 

 

● 戦時下のイヌ、ネコ供出

 

運悪くセンタ-試験と重なった北陸豪雪のこの日、朝に聴いたNHKのラジオ放送はまことに深刻なものであった。(1/13 4:00~)

 

 日中戦争が泥沼化し太平洋戦争に入ると、軍隊の防寒装備が不足してくる。ウサギを飼育して毛皮を取るのが本筋だったらしいが、人手もエサも足らない。昭和15年の国会演説に端を発した対応策が、野良犬、野良猫、家庭の犬・猫もと殺して毛皮を取れば、治安もよくなる、大事な食料も節約できるとの発想で行われた悲しい作戦である。記録によれば、昭和19年の北海道の数字では、イヌ3万匹(全数の80~90%)、ネコ7万匹(53%)が殺されて毛皮になったという。(了)

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風に吹かれて( H30年新春号 : ほころびが目立つ日本社会)

1年間ご愛読を頂きありがとうございました。新しい年のご多幸を祈っております。

 

 

   このところ、毎週のように上越新幹線で新潟へ通っています。本格的な冬になって、国境の長い

 

トンネルを抜けたその先、越後湯沢辺りからは雪景色です。とくに、天気のよい日、浦佐付近からは、白い水田の向こうに、越後駒ヶ岳~八海山のパノラマが見事です。4月以降は、東京、長野、新潟と3拠点生活になりますので、それぞれの地で四季の変化を楽しみたいと思っています。

 

  さて、1月号では、企業不祥事の報道などへの感想を記しました。

 

 

 

● エア・バッグのリコールとワン・ペダルへの転換

 

平成29年は、わが家の乗用車にとって多忙な1年であった。

 

① まず、春先に「国交省・トヨタ」から、愛車アベンシスの「タカタ・エアバッグ・リコ-ル通知」が届く。デイ-ラ-と登録は東京だが、現在の保管場所は安曇野なので、系列の「ネッツトヨタ穂高店」と連絡を取り、車の持込みと立会いに東京から出かける。なお、5月の車検の際にも指摘があり、ご丁寧なことだ。

 

 生命に関わることとはいえ、国交省とトヨタの連絡体制はすばらしい。だが、報道では、交換済みは83%、いまだに130万台が未了とのことで、国交省は、平成30年5月の車検からは、パスさせないという強行策に出た。

 

② ついで、ワンペダルである。最近、高齢者の「ブレ-キ・アクセル踏み違い事故」が多発しているため、家内から、「運転を辞めるか、安全装置ワンペダルへの交換か」を迫られて後者を選択、長い段取りの末、12月11日には安曇野へ出向き、交換への立会いと1時間ほどの慣らし運転を行なってきた。

 

 ワンペダルの仕組は次のとおりである。既設のブレ-キ上に特殊なペダルを重ねて、「踏み込めば常にブレ-キ」、「足を右に軽く寄せればアクセル」というもので、ブレ-キはやや重く、アクセルは軽いが、突進事故は、起こらない。

 

 列車でいえば、デッドマン・ハンドルのフェイル・セ-フ機能である。

 

(そして、平成30年には、「免許の書換え」と「高齢者講習」が待っている)

 

 

 

● 高校の歴史用語からメッテルニヒが消える?

 

 「高校の歴史で学ぶ用語を減らそう」と教員団体がまとめた第一次提案では、坂本龍馬やガリレオが削減対象らしい。これでいいのか、ガリレオを消すのは、小泉純一郎総理が<郵政解散>の際に引用した「それでも地球は回っている」という決定的な歴史上の名セリフも消すことである。

 

あまり報道されなかったが、メッテルニヒも消されるという。「会議は踊る、されど進まず」で記憶され、ナポレオン戦争後の40年間、欧州に平和的秩序をもたらした宰相を消し去ってしまう無神経さに哀れみすら覚える。

 

 

 

● あいつぐ大企業の不祥事 ・・・ 赤信号、みんなで渡れば怖くない?

 

神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ、日産、スバル、JR西と著名な大企業での不祥事が連発、「モノづくり大国日本の現場力が落ちている」との指摘もあるが、どうも構造問題のような気がする。中長期的経営視点は許されず、すぐ目先の「利益」という<結果とそのための過度な「コスト・カット>を求める。最も安直な手段は、経営の内実を十分調査することなく、形の上で利益を出している関連会社を<子会社化>してグル-プ全体の連結決算の数値をよく見せる、単なる数字合わせがこの事態を招いたのではないか。そして、日本的な内輪に甘い扱い、企業信用に関する責任の欠如=ガバナンスの弱さが二重写しになる。

 

加えて、うがった見方ではあるが、「いまなら疑惑が1社にとどまらない」、複数の会社の不祥事の発覚に便乗して、「いま発表すれば攻撃が薄まるだろう」という情けない読みがあるのではなかろうか。もう一度、近江商人の経営原則「買い手よし、売り手よし、世間よし」を思い起こすべきである。

 

 さて、最後にもう一つ、不祥事が起きてしまったときの対処法として記憶にある言葉を挙げる。それは、「しゃ・ちょう・げん・かい・で、しょ」、つまり、「謝罪、(第三者)調査、原因究明、改善策、(厳重)処分」である。

 

 

 

● 日本相撲協会は「公益法人」になっているか

 

過去の不祥事、しごきによる弟子の死亡、八百長などの反省に立って、日本相撲協会は「公益法人化」したはずだが、内部体制の整備はゆるく、内閣府や文科省の認可審査も甘かったといわざるを得ない。

 

外部理事は少数、不祥事への具体的な適用関係の基準がない。内部統制では、評議員会と理事会との機能分担が不明確だ、評議員会の議長がテレビ出演して理事会の代弁をするようでは話にならない。公益法人であるならば決定機関と執行機関の区別をしっかりわきまえるべきだ。「日暮れて途遠し」とはこのこと、テレビ取材へのパフォ-マンスに明け暮れている暇はないと思う。

 

 

 

● 地方議員に「厚生年金」案?

 

 11月号で、「地方議会は夜間や休日にやれば、議員へのなり手も増え、議会の費用も節約できる。傍聴が増えて議会への関心も高まる」との趣旨を述べた。

 

12月8日から、長野県の喬木村で、実際に夜間議会が始まっている。開会は19時から、兼業は自由、傍聴も容易、年金はない、費用は日当のみである。

 

 

 

 

 

これに逆行するのが、自民・公明で検討中という「地方議員に厚生年金を」という動きである。厚生年金の掛金の半分は、雇用主=役場=税金負担である。

 

辞めてからの生活が大変でなり手が少なくなるとの理由らしいが、地方議員は、生計を維持するための職業ではない。喬木村の爪の垢でも煎じたらよかろう。

 

 

 

● 「もったいない運動」が本格化

 

 6年ほど前に松本で始まった「30‐10運動」が、いまや全国化しつつある。

 

嬉しい限りである。BSE事件に端を発した安全・安心、地産地消の「みどり提灯運動」、そして、食資源を大事にする「もったいない運動」へと食・農に関する動きは好ましい方向を辿っているようだ。願わくは、「子ども食堂」も含めて、食とくらし、食文化が大事にされ、高まってほしいものだ。                              (H29.12.26記)

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風に吹かれて( H29年12月号 : 不安で流動的な国際情勢)

 

 

  師走・12月の声を聞くと、なにかと慌ただしい気持ちになってきます。

 

天候不順が続きましたが、11月に入って落着きを取り戻し、あづみ野に通う「あずさ」からは、山岳展望と暖かい車内の一献が楽しめる季節になりました。

 

 

 

さて、12月号は、最近の国際ニュ-スへの感想などです。(H29.11.28記)

 

 

 

・社会主義強国の建設へ

 

「強勢大国」(北朝鮮)、“Make America great again”(アメリカ)に続いて、共産党大会を経た中国では「社会主義強国」の建設と来て、なにやら一昔前の「千年帝国」(ナチス・ドイツ)や「大東亜共栄圏」(日本)を彷彿とさせる。

 

 

 

“猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらふに、秦の趙高、…これらは皆旧主、先帝の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れむ事をも悟らずして、民間の憂ふる所を知らざりしかば、久しからずして亡じにし者どもなり”(平家物語 祇園精舎)

 

 

 

 

 

● バルフォア宣言100年 「誇りか謝罪か」

 

 

 

 イギリス「三枚舌外交」の一つであるバルフォア宣言から100年が経過した。

 

 

 

これについての読売と産経の報道ぶりの違いには興味深いものがある。(11/4)

 

 

 

読売は、見出しで、「ユダヤ人国家支持・100年前の謝罪要求」とし、記事では、<パレスチナ自治政府は、「この宣言によって、われわれは大きな犠牲を払ってきた。英国に謝罪と犠牲者への補償を求める」との声明を出した>と報じて、イスラエル側の会見も伝えたが、イギリスの反応は書いていない。

 

 

 

 産経は、見出しでは、「英国のユダヤ人国家支持 メイ首相<誇らしい>」とし、<イスラエル建国に英国が演じた役割を「誇らしいと思う」と述べた>である。

 

 

 

 

 

 

 

 歴史は、イギリスが、①フサイン・マクマホン書簡(アラブの独立を約束)、②サイクス・ピコ密約(英仏露の3国で地域分割)、③バルフォア宣言(ユダヤ国家の建設約束)の三枚舌を使ったと評価するが、英国政府は受け入れない。

 

 

 

● カタルーニャの首相、「ベルギーに」 避難

 

  スペイン東部「カタル-ニャ自治州」が<共和国として独立宣言>をし、中央政府は、<自治権停止、反逆罪の適用とEU逮捕状の送付>で応酬した。自国周辺への波及を恐れる国際社会の反応は鈍く、事態は予断を許さない。

 

 

 

手許の「世界史年表」を見ると、<バルセロナを抱き豊かな産業の地であるカタル-ニャ(カタロニア)>とスペインは、歴史的に敵対関係の因縁を持つ。

 

 

 

①1714年、カタル-ニャは、スペイン軍の「バルセロナ包囲戦」に敗れて、公国としての地位を     失ったが、その後も、しばしば内乱・暴動が起きている。

 

②1919年、自治を計画する大集会が失敗に終わる。

 

③1934年、共産主義者・労働者の暴動とカタロニアの独立企図が失敗する。

 

④1936年、人民戦線とフランコ派の闘争が始まる。(スペイン内戦へ)

 

⑤1937年、バルセロナは共和国派の砦となるが、敗れ、カタル-ニャ語も禁止。

 

  「独立企図」といっても、<スペイン連邦内のカタル-ニャ国になる>ことだったのであるが、フランコ政権は許さず、指導者たちはフランスに逃げる。フランスは、引渡し要求に応じなかったが、ナチスドイツに敗れるに至って、ビシ-政権は指導者たちをフランコに引き渡し、彼らは処刑されてしまう。

 

 

 

  いま生じている独立問題は1934年と似ている。カタル-ニャのプチデモン首相が逃亡先にベルギ-を選んだ背景は、①フランスを信用していない、② ベルギーのオランダ系住民に独立志向があり、支持もある、③アメリカなどへの亡命もしやすい地の利にあるからだと見ているのだが、さて、ベルギー政府は、どう出るのだろうか。

 

 

 

 

 

● 「戦争と農業」 (インタ-ナショナル新書)を読んで

 

 

 

藤原辰史は、「第一次世界大戦と第二次大戦と冷戦期、人が餓え、殺された時代の歴史の研究者」(当人の弁)で、その視点はこの著作にも貫徹されている。

 

 

 

 

 

 

 

表紙裏の見返し部分には、“農作業を効率的にしたい。その思いが20世紀の農業技術を飛躍的に発展させ、同時に、その技術が戦争の在り方をも変えた。

 

 

 

トラクタ-(のキャタピラー)は戦車に、化学肥料(の窒素固定)は火薬になった。

 

 

 

逆に、毒ガスは平和利用の名のもと、(殺虫剤など)の農業に転用される。

 

 

 

本来人間の食を豊かにするはずのテクノロジ-発展が現実には人々の争いを加速させ、飽食と飢餓が共存する世界をつくった。この不条理な状況を変えるために、わたしたちができることを考える”と著者の考えが述べられている。

 

 

 

 

 

 

 

個人的に興味を引いたポイントを、以下に、虫食いで要約してみた。

 

 

 

(1)20世紀の人口増加を支えた4つの技術:農業機械(トラクタ- →戦車)、

 

 

 

化学肥料(→ 火薬)、農薬(← 毒ガス)、④品種改良(→ 遺伝子組み換え)

 

 

 

(2)空中窒素固定の工業化(←硝石、海鳥の糞化石)が戦争の引き金になった。

 

 

 

アホウドリの狩猟(羽毛の採取・輸出)とその地にある糞やリンを利用することも、日米の利害衝突の一つで、その場所が、あのミッドウエイだった。

 

 

 

(3)現代の兵糧攻めと食料の強制調達:第一次世界大戦期に、空襲よりも人々を苦しめた攻撃方法が「経済封鎖」「食料攻め」だった。

 

 

 

…イギリスによる対ドイツ海上経済封鎖(ドイツに76万人の餓死者と「1918年ドイツ革命」をもたらす)、第二次世界大戦での独・ソ談合のポ-ランド封鎖・食料徴発、1941年のレニングラ-ド封鎖(飢餓計画)による700万人の餓死、兵站を無視の日本軍では、戦死者の半数は餓死であった。

 

 

 

(4)「幸福追求権」については、子どもの貧困問題と関連させ、幸福追求の中心には、食べ物を据えるべきで、食べて考える、考えて生きる、そのために食事らしい食事の機会・場所(居場所)が与えられなけばならない。

 

 

 

(5)「キンダ-ガルテン」(幼稚園)とは、「子どもの庭」で子どもたちが育つたところ、花や木だけでなく野菜、麦、果樹など「食べものが育つ庭」でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 藤原の結論は、①企業の害へ異議申立、②有機農業を市場価値でない新しい仕組みの要として再構築、③種子の選択、④食べる場所の再設定になろうか。

 

 

 

 

 

※ この著者は、他にも「カブラの冬」「稲の大東亜共栄圏」「ナチスのキッチン」が面白い。

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風に吹かれて( H29年11月号 :つれづれに思ふ)

 あづみ野は、めっきり寒くなりました。常念山脈の山肌が薄化粧をし、遠く、後立山連峰は、もう真っ白です。野沢菜にとって、霜が降りるこれからが大事、近所の畑には、追肥を施す農家の方々の姿も見えます。やがて、雪しぐれと凍りつくような日々、冬の寒さがやって来ることでしょう。

 

11月末を目指して店じまいの準備に入りましたが、まずは、花や実をつけてくれた草木への「お礼肥」、来年を楽しみにカサブランカ(球根)の植え付け、そして、小豆(在来種)、柿の収穫から始めています。(10/27)

 

 

 

 さて、11月号では、このところ見聞きした事象の断片への感想を記しました。

 

 

 

●    線香花火の東西

 

線香花火の誕生は1600年ごろ、戦国時代に鉄砲とともに伝来した黒色火薬が戦国時代の終了により、「平和利用」されるようになったという。(9/5読売)

 

初めのころは、わらしべの先に火薬を詰めて香炉や火鉢に「線香のように」立てて燃やしたらしく、これが「線香花火」の由来である。関東は紙製が普通であるが、関西では、いまでも「わらしべ」が4割ぐらいを占めるとあって、まるで、「おでん」と「関東炊き」のような違い方が楽しい記事だった。

 

● 「鏡割り」と鏡開き

 

ある日のNHKラジオのニュ-スで、「高安の大関昇進祝いが港区内のホテルで開催され、…鏡開きが行われた」と放送された。はて鏡開きは鏡餅の方で酒樽は鏡割りではないかと一瞬、違和感を覚える。しかし、ウイキペデイアによれば、どうやら、酒も餅も両者は同じ語源らしい。

 

 武家では、供えておいた鏡餅を新年の吉日に食するが、餅を<切る>では、切腹につながり縁起が悪い。<割る>も同様なので、そこで、これらを避けて、<開く>に落ち着いたとあり、ここまでは、餅に関する語源の解説だ。

 

 

 

一方、酒屋では、酒樽の上蓋を「鏡」というから、<鏡を割る>も具合が悪い。上蓋の開封は<鏡抜き>が正式だとあって、たぶん、類語の混同なのであろう。

 

● コラソン・デ・メロン(メロンの心)

 

 これまた、NHKの「ラジオ深夜便」からである。2時ごろからは、「懐かしの歌」<海外編>が流れる。9月15日には、1950年代の歌が放送された。「つぎは、ロ-ズマリ-・クル-ニ-の“メロンの心”をお送りします」。そう、日本では、森山加代子が歌ってヒットした曲、原題は“コラソン・デ・メロン”である。

 

 自らの話になるが、長らく<メロン>とは、マスクメロンかプリンスメロン、あるいはハネデユ-メロンと思い込んでいたのだが、あらためて聞いてみると、・・・Your heart is water-melon・・・sweet and・・・ときて、実は「スイカ」だった。思い込みとはこんなもの、いまでは、スイカも高く、メロンと並ぶ高級品だ。

 

●    間の抜けた話 – パート 2

 

 佐渡(相川)の博物館で、金塊の「レプリカ」が盗難にあったと報じられた。時価は高々50,000円だとか、割に合わない仕事だ。おまけに、捕まった犯人の2人、ほかの異なる窃盗で手にした現金1000万円も車中から発見されてしまうというドジを踏むアホぶりで、とんだ笑いものになっている。

 

(同じ島内の西三川ゴ-ルドパ-クでもショ-ケ-スが壊される事件があったので、警察に目を付けられていたのかも知れない。ただし、こちらも、夜間は、800万円する本物は別の場所に厳重に保管していたと答えていた)

 

 

 

 美術展の展示品だって、パ-テイ-で身につける高級装飾品だって、本物は自宅金庫にあるぞという代役=レプリカを飾るのが一般常識なのだが・・・。

 

●    夜間・休日の議会

 

 これも長野県の話題である。「議員のなり手に悩む喬木村が、夜や休日に議会を開く方針を決めた。会社勤めの人も議員になれるようにという発案である」と報じられた(9/17読売)これはもっともなことである。北欧などでは普通のこと、日本でも、東京での全国団体の仕事が重複してやむを得ない場合、地元自治体の議会は休日に開いていたという例があると聞く。

 

(H29.10.31記)

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風に吹かれて( H29年10月号 :見たり、聞いたり、読んだり)

 

 

  あづみ野の庭の一隅に植えた在来種の小豆が実をつけています。小粒で色は黒く、皮も固くて調理には厄介ですが、栽培は容易で丈夫なようです。北安曇地域特有の品種らしく、霜が降りるまで実が成り続けると聞きました。朝早く、やさしい色の花が咲きます。一鞘に10粒ぐらいですが、この秋は、種子を採取するにとどめて、来年の元手にし、もっと手広くつくろうかと考えています。

 

 

 

さて、「読書の秋」になりました。近ごろ、見たり、聞いたり、読んだりしたなかから、印象深かった本のポイントなどを書きとどめることにします。

 

 

 

● “コンテインジェンシ-・プラン” (contingencyplan)

 

 

 

 小池都知事も愛読したという「失敗の本質」(野中郁次郎ほか・中公文庫)に登場する言葉で、組織体が機能的・効果的に稼働するには、たとえ偶然であれいかなる危機にも即応できるシステムが準備されていなければならないという。この観点からすれば、9月10日の「小田急沿線火災・列車への類焼」の場合、プランはどこにも見当たらず、消防、警察、列車の対応には大いに疑問が残る。

 

 

 

(消防の要請を受けた)警察が踏切の「緊急停止ボタン」を押したために、列車は火災現場に強制的に停止させられて、屋根への飛火・延焼を招いた。ステンレスやアルミの車体は熱伝導がよいから、車内はすぐに熱くなる。もし、乗客が非常コックを開き、火災現場の近くへ脱出していたなら死傷者の発生は免れなかっただろう。<車体は不燃構造、屋根表面は可燃性の絶縁体>という状況で外部からの火災への唯一の対応方向は、消防が叫んだ「列車を止めろ!」ではなく、 「すぐに現場から離れろ!」 だった。停止場所も考えずに「緊急停止ボタン」を押した警察の行動も、やりとりを続けて時間を浪費し、緊急・強制停止の解除を遅らせた司令室の対応も、ともに危機管理としては拙劣である。 繰り返すが、<列車は止めず><乗客は降ろさず><現場からまず離れる>、現場を知らない指令室に対しては、運転手も「このままでは被災する、直ちに離脱させろ!」と訴えれば、約10分もかけず、30秒~1分で片づくことだった。 列車運転が<手動>、危機対応も<運転手・車掌に委ねられていた>時代は、危機管理意識が厳しかった。船舶や航空機の場合には、船長、機長に絶大なる権限が委ねられている。「コンテインジェンシ-プラン」の整備について、強く警鐘を鳴らしたい。自動化が進み過ぎ、人間の判断・行動を認めない対応では、重大事故が懸念される。国交省の「法律上は定められていない」はピンボケだ。

 

 

 

(注1)「失敗の本質」によれば、太平洋戦争の分かれ目となった「ミッドウエイ作戦」で、日本海軍が実戦の場で取るべきだった行動は、米航空艦隊発見→基地攻撃爆弾から魚雷へ装備変更でなく、①米爆撃機からの攻撃回避のため直ちに発艦、②既装の爆弾で米空母を襲撃、③米航空母艦上に火災を起こし、米航空機の着艦を不可能にすることであった。臨機応変、危機・緊急対応、マイナスを極小化し、プラスの歩留まりを高める対応)自らが遭遇するであろう災難を想像することができず、米航空母艦の撃沈のみにとらわれ、虎の子の連合艦隊を失なってしまったのである。

 

(注2)平成27年9月号で取り上げた「中央線・湯ノ花トンネル銃撃事件」で、列車運転手は米軍艦載機の列車銃撃に対 し、多数の死傷者は出したものの、列車を停止させることなく、必死で 近くのトンネルへと逃げ込み、多くの人命 の救 出に努力し ている。

 

 

 

●安曇野」と柳田國男

 

 

 

 臼井吉見の「安曇野」を再読して、柳田國男に関する印象的な記述に出会った。第5巻その21において、柳田は、著者を通して、まず、つぎのようにいう。

 

(1)  過去の日本の捨つべきものを愛惜し、確乎守るべきものを捨て去ることがあってはならない。

 

(2)  さらに、続けて、「昔風と当世風」と称し、

 

  老人などがしきりに愛惜する昔風は、彼ら自身の当世風にすぎない。全体として、近代の当世風          の 中には愚劣なものが多く、これを後生大事に守って、変革を敵視する保守派などは、嘲笑以外の何物でもない。

 

(3)  帯などという大げさなものを腰にまとい、奥様が帯をしているのやら、帯が奥様をしているのやら見分けもつかぬ格好をして歩いている。こんなのは、ほんの一時の心得違いによるものだ。

 

 

 

 (注)昭和40年ごろ、東京教育大学の日本史の講義で、家永三郎先生も、「胸高の帯は、古代、中世にはなかった」と 述べていた記憶があるが、「封建時代になり、女性の行動を縛るものとして胸高に変わっていった」という続け方をした。こちらの方はどうだろうか。

 

 

 

(4) 日本人魂と日本人の座り方とは深い関係がある、畳というものがなかったなら、日本人の勇気は今日ほど修練されなかっただろうという説は滑稽である。日本人がぺちゃんこの座り方を始めたのは、3~400年前より古くはなく、畳を敷き詰めたのはほんの近世からのことだ。

 

 戦争中にもかかわらず、教育勅語に対して、「これは一部の武家の規範であり、ほかの多くの階層のものには役立たない」と批判めいたことを述べ警察に目を付けられたことも引用されている。改革派としての柳田の側面を見て印象深い。

 

●「江戸東京の聖地を歩く」

 

岡本亮輔著(ちくま新書)だが、傑作の部類である。歴史の短い江戸東京において、いわゆる「聖地」がどのようにして形成されていったかを、具体的な場所ごとに記している。神社仏閣が中心であるが、どうして流行ったか、誰が・どのように流行らせたか、流行っていたが廃れてまた流行るキッカケは何か、近ごろに生まれた聖地のいわれなどが分類・整理されている。フィクションもよし、神話・伝説もよし、要は「物語」から始まるのである。

 

 

 

 著者は、「近世以来、江戸東京には無数の人が暮らし、数々の社会的・文化的・政治的・経済的な出来事が生じた。政権交代、急激な経済成長、悲劇の大量死、無残な虐殺もあった。こうした出来事は起こるたびある場所に何らかの物語が紐づけられ、それが共有されることで聖地が生み出され、それが急速に広まり、忘れられる」と総括する。代表的な、楽しそうなものをランダムに挙げよう。

 

 

 

① 将門塚=首塚 京で打ち首にされ晒された平将門の首が、切り離された体を求めて東国に舞い戻ったという。(無念の死を遂げた)変死者は凶霊になるとされ、それを鎮めるのに用いられたのが「支解分葬」=死体をいくつかに切り離し、異なる場所に埋めて凶霊の発生拡散を防ぐこと、各地に見られる。左遷や出向からの復帰を願うなどの物語も生まれた。

 

② 広瀬中佐像(軍神の聖遺物) 日露戦争の旅順閉塞作戦で、杉野上等兵曹を探し求めて戦死し軍神となった広瀬中佐の像が万世橋に建設されて、遺品とされるものも靖国神社の遊就館に並べられる。中佐のもの、ゆかりのものという品物が次々に発見、陳列されるが、これはキリスト教の聖遺品と同じである。太平洋戦争後には取り壊されて、40年だけの聖地に終わった。

 

③ 回向院 両国にあるが、明暦の大火で建立され、宗派色はない。安政大地震、関東大震災の死者も祀られ、首都であるが故の大量死の鎮魂をも引き受けてきた。これに対し、小塚原回向院(南千住)は、刑死した者の弔いである。

 

④ 於竹(おたけ)大日如来井戸跡(聖女) 江戸初期、人間離れした倫理性のために流行神になった女性がいる。大伝馬町の名主の下女「お竹」だが、信心深く、慈悲深く、与えられた食事や給金はことごとく施してしまって、(栄養失調で)倒れ臨死体験をする。夢で阿弥陀様の姿を見て救われる。信心はますます深まって、これに目をつけた出羽の羽黒山の山伏たちが「大日如来縁起」を作って宣伝し、「聖女」への信仰として導いた。

 

⑤ 鼠小僧の墓(両国回向院) 「義賊」とされているが、戯作者:河竹黙阿弥の「鼠小紋東君新形」による想像の産物で、実態はふざけた野郎だったらしい。数千両を盗んだといわれるが、捕まったときには、放蕩、ばくちで無一文。そのために、<貧しい人々に恵んだからだ>との話になった。武家屋敷のしかも女性便所から忍び入り、眺めを楽しんだ挙げ句、金は女性から奪った。武家が狙われたので人気を集めたのだと「歴史家の磯田先生」が解説する。 ギャンブルには御利益があるとされ、いまでも墓石を削る人々で賑わう。

 

⑥ 最近の聖地 美男剣士の「沖田総司」終焉の地と称して恋愛の聖地になった「浅草の今戸神社」、パワ-スポット化した「明治神宮の清正井」、長編アニメ「君の名は」に登場する階段で聖地になった「四谷須賀神社」etc.

 

 

● 「あて字の日本語史」

 

 

 

田島優(風媒社刊)の名著であるが、2200円とやや高額なのが気になる。

 

 

 

<糸惜><口惜><無・甲斐><無・墓><六借><浅猿><四度計無>などあて字の連発である。それぞれ、いとおし、くちおし、かいなし、はかなし、むつかし、あさまし(ら)、しどけなし、といった具合である。

 

 

 

 さらに、漢字の意味内容と「読み」を工夫した例では、饗応(フルマイ)、骸骨(アバラボネ)、喧嘩(カマビスシ)と続き、ポルトガルからの外来語では、「音」により、または「訓」(意味)に「音」を乗せて、いまでも使われる。<合羽>(カッパ)、<更紗>(サラサ)、<羅紗>(ラシャ)、<襦袢>(ジュバン)、<金平糖>(コンペイトウ)、<加留多>(カルタ)、<煙草>(タバコ)などがそうだ。

 

 

 

こうしたあて字は、はるか古事記、日本書紀の時代から延々、「音を借用」し、「音+意味の合作」として活用され・進化し、現在も続くのである。

 

 

 

               (H29.9.28記)

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風に吹かれて( H29年9月号 : あづみ野の夏日記)

   この夏は、あれやこれやで30日間ほどをあづみ野で過ごしました。8月21日からは小中学校の新学期も始まって、近くの田んぼでは、稲穂も垂れ下がってきましたが、天候不順が続きましたから、この秋の収穫がとても気になります。

 

  9月号では、これまでの「見聞・行事・風物詩」をランダムに書き記しました。

 

● 「松本ナンバー」 に要注意

 

    ここに暮らすようになってすぐ地元の人にいわれたのは、「松本ナンバ-は運転が乱暴だから気をつけるように」であった。なかでも実感しているのは、右左折や直進の優先順位を守らない、速度制限の表示は無視するの2点だ。交差点向かい側の先頭に直進車や左折車がいても早い者勝ち、どんどん右折してくる。また、法定速度の10kmオ-バ-程度で走っていても、前方に空きありと見るや、「はみ出し禁止車線」の表示は無きがごとしで追い越していく。

 

 当方の品川ナンバ-への威嚇なのかもしれないが、地元も認めるくらいで、それが一般的、気が短い人が多い地域と見えて、事故には「要注意」である。

 

 

 

● あづみ野の花火は 「田んぼ前の特別席」から

 

   当地の8月は、花火大会のオンパレ-ドである。8月13日の松川村・池田町(3000発)、8月14日の安曇野市(10000発超)、そして、15日の終戦記念日は、大町市の木崎湖の「灯籠流し&花火大会」が湖面に映える。諏訪湖の大花火大会には負けるものの、「安曇野花火」もなかなかのものだ。自宅2階の窓から見ることもできるが、風もあり涼しかったので、田んぼ前の農道に椅子を持参し、蚊取線香を焚き、長袖・長ズボンの完全武装でじっくり1時間半、「光と音のペ-ジェント」を楽しんだ。自宅から3.4km先の「大王わさび農場」付近、犀川の河原で打ち上げられるので、光が見えて10秒後には「ドン!」と聞こえる。<音の秒速は340m>を実測しているようであった。

 

 余談になるが、花火は、亡くなられた方々、とくに不遇の死を遂げた方々の鎮魂行事である。全国一といわれる長岡の花火大会が、8月1日に催されるのは、1486人が犠牲になった「長岡大空襲」の日に因んだものだ。山本五十六元帥の故郷を襲うことにより、米軍は、日本国民の戦争継続への士気を粗相させようとする戦術をとったからといわれている。

 

 

 

● 山はそろそろ秋の気配

 

   7月下旬に標高1500mの白馬五竜高山植物園へ行ってきたが、マツムシソウ、オミナエシ、ワレモコウなど秋の花々が一部で咲き出している。そして、9月末からの紅葉は、高山地域に始まり、次第に里へ下りてくる。白馬・栂池高原のナナカマドは、10月の涸沢にも引けを取らない、息を呑むほど美しい眺めで、そのころになると、平地では秋祭、朝夕はだんだんに寒くなってくる。

 

 この夏は天候不順のため、山岳遭難も多発した。体力不足、準備不足、知識不足、年齢超過などと嘆かわしい遭難理由ばかりだ。ところで、高山地域でのスマホや携帯電話の通話可能エリアはどうか。「信濃毎日」(8/11)によれば、涸沢一帯の通信環境は、NTTドコモが常念岳(2002年)にアンテナを設置したのを皮切りに、KDDI 2016年の蝶が岳が続き、ソフトバンクも近く涸沢の周辺に設置の計画があるらしい。どこからも通信可能な時代になったが、そのせいか、最近は、横着な者も多く、安易に救助を要請し、「費用が掛かる」と伝えると、「それではいらない」というバカも増えていると聞く。 これまた余談になるが、こちらは山岳展望の話である。針ノ木岳の山小屋には50年前から「槍見荘」と名付けたトイレがあるそうで、そのトイレの換気窓は畳1枚ほど、直線で20km離れた槍ケ岳の遠望がピタリ収まる。知る人ぞ知るであるが、もっと早くに知りたかった。この夏は見える日が少なかったという。

 

 

 

● 穂高神社と矢原神明宮、2つの神社と秋祭

 

 

 

 穂高神社は、「安曇海神族」の守護神ともいわれ、水、船、水運と関りが深く、1年を通して、穂高町の<本宮>、明神池の<奥宮>、奥穂高岳山頂の<嶺宮>などで水への神事がある。高瀬川、穂高川、犀川の合流点での「お水取りの儀」、明神池・奥宮への「お水返しの儀」、それに加えて、本年は初めて、穂高岳山頂(3190m)の嶺宮へ、「明神池からのお水返し」も行われた。(7/27)

 

 

 

「本宮」の秋祭(9/26~27)では、穂高人形を飾った大小5艘もの「御船」(舟形の山車)が激しくぶつかり合う江戸時代からの勇壮な行事が催される。

 

    そして、秋深い11月4~5日は、境内で、あづみ野の新そばと食の感謝祭も行われ、多くの人々で賑わいを見せる。(穂高神社の祭神は、穂高見神、綿津見神)

 

 

 

 もう一つ、自宅から5分の矢原神明宮であるが、こちらは伊勢神宮の末社で格式は高そうだ。秋の例大祭(9/24)には、伊勢神宮から宮司もお越しになる。また、式年遷宮のときには、旧社の木材も配られると聞いた。海神族の神社と伊勢(大和民族)の末社、なんとなく、大和時代の勢力の張合いを示しているような気もするが、決して仲が悪いわけではない。秋祭の順序は、矢原→穂高、

 

 

 

舞を奉納する巫女さんは、どうやら穂高神社からの助っ人のようだ。ちなみに、矢原神明宮からお伊勢さんに奉納されるワサビは、大王「山葵御料圃」で栽培されるが、ここでの豊作祈願は、両神社の神職の共同で行われた。(5/7)

 

 

 

なお、養蚕の安曇野らしく、矢原神明宮には高崎「繭仲買人」の掲額もあり、当地で嫁を貰うときには、その伝手で、岡谷の和服店から衣装を整えるとか。

 

 

 

(注)北安曇の大町には、紀元前後に創建され、天照大神を祀って豪壮な社殿を構える「仁科神明宮」がある。こちらは、グル-プに属さず独立を保って続いていると聞く。

 

   ネットには、安曇郡では諏訪神社系と穂高神社系が勢力を張り合ってきたとある。

 

 

 

余談ながら、7月15日に行われた「天下の奇祭」(南信・宮田村の夏祭)での「あばれ神輿」はもっとすごく、新造した神輿(200kg)を社殿前の階段から持ち上げては突き落とし、たたきつけてバラバラにする。そして、カケラが氏子にとっては1年間の無病息災のお守りになるから、壮絶な分取り合いだ。信濃毎日の報道写真は、20年前の映像と少しも変わらず改めて感動した。

 

 

 

 ● 安曇野の「食」

 

 「信州の発酵食」(小泉武夫・横山タカ子 2016年・しなのき書房)は名著だ。

 

 日本一長寿の長野県の秘密の一つは、「発酵食、醸すにある」と解説し、味噌、糠、酒粕、醤油、酢、そして「糀」を使ったレシピを紹介している。麦編の「麹」ではなく、米偏の「糀」を用いたことも好ましい。(東京麹町も本来は「糀町」)

 

  著者の横山タカ子さんは、北安曇・大町市出身の郷土料理家である。

 

 

 

 ところで、当地のス-パ-では信州らしい品揃えが目立つ。興味深い商品としては、甘露煮のイナゴ、蚕のサナギ、ワカサギ、クルミなどがいつも陳列されている。最も特徴的なのは、水産物コ-ナ-の「塩イカ」だ。「塩の道」の副産物?である塩イカは、料理として定着し、棚3段分を占領するほどだ。<信州人の愛する“塩イカの酢のもの”>などと称し、作り方のレシピまで添えてある。残念なことに、漁獲状況が悪く、ほとんどがニュ-ジ-ランド産になっている。

 

  ほかにも、信州のス-パ-では、佐久でハチの子、小鮒の甘露煮が常置される。

 

冷やかし半分でいわれる「ザザムシ」は見かけないが、いつか試みたい。

 

 

 

 

 

● 拾ケ堰 (じっかせぎ) が世界かんがい施設遺産に

 

 

 

 安曇野地域1000 ha(旧10ケ村)を潤す全長15kmの拾ケ堰(農業用水)は、1826年(文化13年)の完成ながら、標高570m地点を緩やかに(1/3000勾配)流れる素晴らしい技術水準の疏水で、「日本の疏水100選」にもなっている。

 

(注)奈良井川に取水して、サイフォンの原理で梓川の下を潜って用水の流れが始まり、

 

  最終的には、烏川に注ぐ用水である。

 

 

 

 拾ケ堰は、昨年11月、「世界かんがい施設遺産」(注)に登録され、このたび、記念式典が安曇野市総合体育館で行われた。(7/28)

 

 

 

 豊科南小では、保護者や近隣住民と清掃に取り組んできているが、「登録をきっかけに自然を守るために何ができるかみんなで考えよう。さらにきれいになるよう、自分にできることを考えたい」、また、土地改良区理事長は「先人の偉大な遺産を守り伝えるため一層の維持管理に努める」と決意を述べた。

 

(注)国際かんがい排水委員会(ICID)が、原則100年以上の歴史的価値がある農業用の水利施設を登録するもので、2014年以来、世界の50施設のうち5割以上が日本にある。

 

 

 

● 最後に琵琶湖周航の歌

 

    「われは湖(うみ)の子 さすらいの」で始まる「琵琶湖周航の歌」の作詞家小口太郎は、なんと長野県岡谷市の出身であるという。彼は、旧制第三高校に学び、ボ-トもやった。その寮歌として作詞して、戦後にヒットしたのである。

 

 これに因んで、いまも諏訪湖でボ-ト大会が行われている。

 

    5月14日に開催されたレ-スの終了後には、小口の生誕120年を記念して、みんなで歌っているのを新聞も取り上げているが、琵琶湖の歌を諏訪湖で歌う、なんとなく、しっくりこない感は否めない。                                                                           (H29.8.31記)

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風に吹かれて( H29年盛夏号 :酒酌めば)

 

 

 

梅雨が明けて、戸隠や南信・飯田などでは、夏そばの花が楽しめる季節に

 

 

 

なりました。夏そば、花の見頃が7月上中旬、新そばの出回りは8月からです。

 

 

 

芭蕉には、「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」がありますが、こちらは

 

 

 

秋そばで、初秋の風景でしょう。(注)あづみ野の秋そば、花の時期は9月中旬です。

 

 

 

 

 

 

 

酒酌めば ことに無月の 蕎麦の花  (柿園)

 

 

 

安曇野のわが家の近く、懇意にしている蕎麦屋で見かけた句です。高校の

 

 

 

先輩(俳人)の解説は、<微醺を帯びて(あるいは酔うほどに)、雲に隠れて

 

 

 

見えない無月の薄明かりの下で眺める蕎麦の花は、仄白くかすんで辺り一面に幽玄な情趣が漂うようだ> と素晴らしい。さて、酒は夏しぼりか、冷おろしか?

 

 

 

 

 

そして、五竜白馬高山植物園のアルプス庭園には、「ヒマラヤの青いケシ」や「エ-デルワイス」が、花の時期を迎えて賑わっています。(7/15&16が花祭)

 

 

 

 ●政策秘書ってなんだろう

 

   6月下旬、週刊新潮の報道を皮切りに大騒ぎとなった「豊田真由子議員(衆・自民党・当選2回)による政策秘書へのパワハラ&暴行」は、人格上の問題はもとよりだが、議員と秘書の不平等関係(使用人扱い)、政策秘書制度が当初の意図どおりには運用されず改善の兆しもないことなど相当に根深いものがある。

 

 

 

 「政策秘書」とはいいながら、その実態は、公設秘書のうち勤務年数が最も長い秘書に「政策秘書」の肩書・給与を与えることが多く、仕事も、一般的な議員秘書の延長線上にある事例も少なくないとされている。そのために、他の秘書と区別されず、礼状・案内状書き、励ます会の依頼、議員の運転手替わりなど雑用係をやっている。報道を受けて、古手の衆議院議員が、「彼女はかわいそうだ、男の議員はもっとひどい(ケ-スがある?)」といって、後に発言を撤回したのもその実態を表しているとはいえないだろうか。

 

 

 

 形ばかり、アメリカ議会のスタッフ制度を真似したこの「政策秘書制度」は、改革の効果を出しておらず、役割・機能を抜本的に見直す時期に来た。

 

 

 

【閑話休題】 「政策秘書」は、1994年1月、細川政権の政治改革によって誕生した制度で、「議員の政策立案と立法活動の補佐をする」(国会法132条②)、いわば「上級スタッフ」として、それまでの公設秘書2人に加えられたもので、①資格試験を受験し合格した者と②公設秘書5年以上の経験+研修を受けた者の2つの道がある。給与は国から支給され、年俸総額が1000万円を超えることも多いという。

 

 

 

 安倍チルドレンの「魔の2回生」ともいわれるようである。余談にはなるが、「小泉チルドレン」のときにも似たような現象があった。新チルドレンの大量当選を受けて、元総理の森喜朗さんが嘆いていた。「こんなに勝ってしまって、勉強、努力の足らない人たちが入ってくるといつか手ひどいシッペ返を食うんじゃあないか」。残りの2回生には、ぜひとも、そうならないことを願いたい。

 

 

 

●おまじない

 

 話を始めたり、締めくくったりするときに使われて、<意味のない>または<意味のわからない>おまじないのような言葉がある。NHKのラジオ深夜便で秋田の民話を聞いたが、語り部の<締めくくりのおまじない>は、「とっぴん、ぱらりの、プン」となかなかに簡素でかつおもしろい。ほかにも、民話の終わりを 新潟では「エッチャ・ポン」、遠野では「ドンド・ハレ」と締めくくるとも聞いた。

 

 

 

 なお、落語にもおまじないのようなセリフがしばしば登場する。「死神」では、「あばらかべっそん、きゅうりんだい、てけれっつの パッ!」と使われているが、これでは何だかさっぱりわからない。先代の桂文楽は、自分の住所に因んで、「てけれっつの 黒門町!」と変えていた。

 

 

 

 そして、母親から子どもへのおまじない、「いたいの、いたいの、飛んでいけ」は、なんとなくいい感じである。いまテレビコマ-シャルで、これを各国の言語で採録しているらしいのが流れているが、本当に世界中にあるのだろうか。

 

  英語版では“Pain , pain! Go away !”と聞こえて、日本語とまったく同じだ。

 

 

 

 

 

●一方通行もバックで進めば逆走OK?

 

 信号や交通標識を守れば安全というわけではなく、用心に越したことはない。ある日のこと、紀尾井町付近の一方通行路を一度は大通りに顔を出した後に、何を思ったか、バックで100mほど逆送してくる軽トラックに遭遇した。

 

 バックで進めば一方通行路の逆走も交通違反にならないかのごときふるまい、

 

このトンデモない運転手、もう一度教習所へ行って一からやり直せ!

 

 逆走ではもう一つ、日テレ通りに合流する道には一方通行が多く、当地域に不案内の運転手では、地図に夢中になって標識を見落として進入し、通行者をヒヤリとさせることも起こる。ナビを使っていれば進入の指示はないはずだと思うのだがどうであろうか。このときは、周囲の冷たい視線が印象的だったが、当人はまったく気がついていない。一方通行だからといって安心はできないし、高齢者の「高速道路での逆走」という恐ろしいこともあり、もって瞑すべしか。

 

 

 

 余談になるが、テレビで救急車の運転手に取材をした番組を見たことがある。そこで、救急隊員がいうには、「なにが怖いといって、急行する救急車の後を同じスピ-ドで着いてくる車ほど怖いものはない」そうである。救急車の後に続いていけば、確かに楽かもしれないが、まことに困ったものである。

 

 

 

 

 

●クマと警察で強盗を挟み撃ち?

 

 最近の新聞報道でもっとも傑作だったのは、「3人組の宝石強盗事件」である。

 

宇都宮市の住宅で住人女性にけがを負わせたうえ、660万円相当の宝石が入った金庫を奪った男3人は、日光市足尾の山中を逃走中にクマに遭遇、県警捜査員20人以上とクマに挟み撃ちをされ「絶体絶命」とあきらめ、身柄を確保された。クマは体長2mを超す大きさだったからさすがに年貢を納めざるを得ない。

 

 

 

 警察の反応が「クマに感謝状でもやりたいよ」とは笑わせる。    (H29.7.27記)

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